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花宇宙 ひとつらなりの生命(いのち)


幸島百番目のサルによる自然生活だより。
by sunnyww-yo
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安全神話

私は原子力発電について、末っ子が中学三年生の時PTAの研修会で
鹿児島の川内原発を見学に行ったことがあります。

その当時の私は「原発」と言う言葉さえ知らなかったように思います。
そしてそれが「放射性物質を反応させてお湯を沸かし、タービンを
回しているなどと言うことは無知な私の知る由もないところでした。

鹿児島まで行くのに参加費がほとんどいらず、あちらこちら
見学させてもらいながら昼食用のお弁当がついてのバスツアー
だったので至れり着くせりだな~と思った記憶があります。

その見学で立派なPR館に展示されている模型の前で、
きれいなスーツ姿の女性の説明を聞きながら・・・

「・・・だから安全に造られています」と繰り返すその声とは裏腹に、
私の中に「この圧力鍋のようなものの中で何をしているのだろう?」

「何重にも保護しなくてはならない鍋の中身とは・・・?」

私の単純な頭はそんなにキケンなこと!

というふうに理解してしまったのです。

# by sunnyww-yo | 2012-05-23 10:41 | こころとからだ

早急に必要な処方箋

その避難民の特にお母さんが必要としている放射能から身を守る
対策方法を早急に発表し伝える必要があると感じています。


私は40歳を迎える頃から、身の回りに起こっていることを感じる
感じ方(視点)が他の人と少し違うことに気づきました。

世間では病気になれば病院に行きますが、私は寝て直します。
また世間では病気の原因を「病院の先生」に聞きますが、
私は自分で考えます。

そして何より身体に備わっている「自然治癒力」を大切にします。

だから病んでいる気「病気」を元に戻すよう注意をし「元気」になります。
たいていこのやり方で3人の子も育ててきました。

もちろんこの感覚を大切に家業の事務的な手伝いと
家族の食事や洗濯掃除と趣味をこなす主婦であり母親でした。

そのころの私は、自分の立場である専業主婦の座を大切な家族の
いのちを守る「いのちの管理人」であると位置づけていました。

「いのちの管理人」とはちょっとオーバーな・・・?
と言われるかもしれませんが、その呼び方をすることによって
家族の中で自分自身の存在の意味を表していたのかも知れません。

もちろん家族にこの表現を使って話したことはなく、
私だけが知っている「私の座」でした。

なぜそう呼びたかったのかを自分自身に問いただしたところ、
お金を稼でいる仕事を持つ人は存在が見えやすいのですが、

専業主婦の仕事はお金を生みだす仕事ではないので、目立ちません。
家族の中でもその存在は「当たり前のこと」として忘れられがちです。

そんな自分自身を励ます居場所のようなものだった気がします。

同居の義理の母にも可愛がってもらっていましたし、
大きな夫婦喧嘩と言うケンカもしたことがない「普通の家族」
の日常でした。

くる日も来る日も、掃除洗濯、三度の食事の準備・・・
別にその作業を嫌いでなかった私は「幸せ」でした。

嫁いだ宮崎市には誰も知人はおらず、自営業の従業員と親族や
義理母の友人などが生活する上で私が主に関わる人たちでした。

その従業員の中には、従業員に昼食を出していた関係上お手伝いの
Yさんがいてくださいました。

正直で明るい信頼できる方で子どもたちの面倒も良くみてくれ、
よく気がつきこまごまと動いてくださる近所のおばさんでした。

私は、昼食の準備や食事が終わると後は「自由時間」です。
お菓子を作ったりミシンをかけたりして楽しい時間を過ごしました。

同世代の人たちと出会ったのは、一人目の子が幼稚園に上がった時でした。
毎日園の送り迎えで出会うお母さんたちとだんだん親しくなり、
お誕生会など家の外での交流も始まりました。

そのお母さんや下二人の子どもを通じて知り合ったお母さんが
健やかな子どもの成長を願う仲間です。

それは1980年頃の話で、子どもたちが元気に過ごしてくれる日は、
母親にとっても天気の良い日のように気分が軽く心地良いものです。

その時代を懐かしく思い出させてくれる子どもたちはもう三十路になり
社会の一員として生きていますが、今現在子育て最中のお母さんたちは

そんな当たり前の生活が2011年3月11日のあの日から
「原発事故」による放射能によって奪われてしまったのです。

五月晴れの太陽の下で、子どもを遊ばせることや洗濯ものやお布団を
干すこともままならない情況に、お母さんの心労がつのって来て
いるのを感じます。

# by sunnyww-yo | 2012-05-23 05:31 | こころとからだ

2012年5月23日(旧歴4月3日)

昨日の朝起きた天体ショウ「金冠日食」を雨降りのため
私は「見ません」でしたが、感じる目で「観て」いました。

ところがその雨の中で「金冠日食」を実際の目で見た人たちがいます。
それは20日の夜市木舳(へた)の公民館に集まって来て、

私の話を信じヒーリングを受けてくれた、
「100パーセント自分自身の幸せのためのエネルギーを

取り戻すことができた」インディゴチルドレンあるいは
クリスタルチルドレンと呼ばれる人たちだと思います。

これらのチルドレンについては後でお話するとして、まずは今ここで
「起こっていること」をお話したいと思います。

そのYちゃんに率いられ公民館に集まってきた大人たちは現在の社会の
あり方に早くから居心地の悪さを感じ、「自分の心地よい空間」を見つけ
生きてきた人たちです。

しかし現在社会の都会の中には彼らを喜んで受け入れてくれる環境はなく、
また彼らもそれを好まず、旅から旅を繰り返し人生の大半を過ごしています。

そのため彼らは定住を嫌い世界中を旅することができる「フットワークの軽い」
素敵な人たちで「ヒッピー」と呼ばれています。

そして彼らはバックパック一つで旅ができるので、生きるのに必要でない荷物に
あまりお金をかけない生き方がとても上手なフレンドリーな人たちです。

今回も22年間続き今年で最後になったらしい「虹の岬まつり」の会場で
市木から参加したYちゃんたちの呼びかけで感応し来た人たちが大半です。

もちろん彼らにも家族があり、会場を所せましと走りまわる元気な子どもをもつ
親でもあります。

「そんな生き方」があることすら知らず、現在社会で「普通に生きてきた」
普通のお母さんと子どもたちが何組か混ざっています。

それは2011年3月11日この国で起きた

地震・津波・原発事故による避難民なのです。

目に見えず、匂いも色もない「福島原発震災の放射能のキケン」を感知し
小さな子どもたちを抱えて避難してきた人たちです。

# by sunnyww-yo | 2012-05-23 04:16 | こころとからだ

前後しますが、ありがと菜

今年の3月11日大分での集い以来の知り合いになった
Rちゃん、Sちゃんのお声かけで、Yさんと19日の14時過ぎから

「ありがと菜」の会場である、宮崎県北部の延岡市北方から近い
「宇目の道の駅」に来ていました。

「天女人(てんまど)まつり」で二人にゲストで参加してといわれたからです。

# by sunnyww-yo | 2012-05-21 09:01 | こころとからだ

キンカン日食

2003年5月21日 お天気 雨 新月 風強し。

「金冠日食を市木で見よう」の呼びかけに若ものが集まって来ています。
その数、子供も入れてヘタの公民館いっぱいです(5~60人)。

昨夜の9時から「市木のグランマK子さんの話し」と言う
時間がとってありましたので、大分の宇目を16時に出て20時頃戻り、

Rちゃん家族とM君の運転で会場のヘタ公民館に向かいました。
車に乗り込み5分ほどの会場に着くまで、大ぶりの雨にみそがれます。

築島前の国道から少し山側にある公民館なので、国道に車を止め
傘をさして坂を上がりました。

公民館の入口に脱いである靴が大小半端ない数です。
ドアを開けると公民館の広間を走りまわる子どもたちの歓声で
押し返されるような状態です。

とりあえず呼びかけてくれたYちゃんを探し到着を告げ、
落ち着ける場所を探して広間に入ったら、「わ~K子さん」

といってハグをしに来てくれた数人の子どもたち(大人)と挨拶。
九時から私の話しを聞いてくれる予定まで30分程ありました。

ハグをした子が抱いていたE君を受け取りしばらく抱っこをし
ウロウロしたので会場の雰囲気に慣れてきました。

みんなは夕飯がまだのようで、用意されたテーブルに美味しそうな
食べ物が並べてありましたが私はYさんと済ませて来たので、

テーブルから少し離れた場所に腰をおろし、膝に来てくれたRちゃんと
みんなのようすを見ながら待っていました。

走りまわっていた子らも食事が始まると少し静かになりました。
大人も食べ始め口に食べ物が入ったので、公民館の中は平常になりました。

時間も丁度よかったので、食事しながら聞いてもらうことにし話し始めました。
そしてこの日本という国「日本丸」の状況と宇宙における地球の「この場」と
明日の(21日)金冠日食で何が起きるかを話し始めました。

呼びかけのフライヤーには「母の時代」とうたってありましたが、
話の展開がみんなの予想外だったようで面白かったのか、
食事の手を止めて私を注目してくれるようになりました。

私たちは仕組まれた経済優先の社会で「日本丸の漕ぎ手」として「時間」を
「お金=エネルギー」としてとられてしまった日常の中にいることを伝えました。

その「常識」という檻の中にいる家畜化した現代人の生活。
その中で息苦しくなり「麻薬」や「お酒」「パチンコ」などで
さらに金銭的にも追い込まれる生活の悪循環。

やがてそのストレスから身体を壊し医療産業という餌食になり、
生血を吸われるような闘病生活の始まり。

そしてその仕組みが昨年の「3月11日の原発震災」で壊れ、
その檻からにげきてた子どもたちが今ここに「朝日の子」として
集まって来ているのだと話しました。

そして明日「失われた時間」が解放されようとしているのだと話しました。

この星が「経済優先の生き方」から「愛に基づいた生き方」にシフトする
ことが可能になる日、それが明日太陽・月・星・地球が一直線に並ぶ日。

わたし的にたとえるなら、「モモ」の中のどろぼうが人間から奪った時間
を保管している「大きな金庫のカギのダイヤルが合い扉が開く日なのです」。

と話している私は「変なおばさん」とと思われかねない内容です。
でも話している私は「真剣」なのですが、「私が感じるお話」として
聞いてもらえるうようお願いして話を進めました。

その参加者は「虹の岬まつり」で案内され集まった人たちが多く
ヒッピーぽい人が大半で、一般の子連れのお母さんが3分の1
位でした。

そしてこの会場で何をするかを決めていた私は発表しました。

食事後皆さんが「自分自身の幸せのために100パーセントの
エネルギーを使えているかをチエックし、使えていなくても
それを使えるようにしますと・・・。」

そしてそれを「自立のための道具」として使えるように、
「お土産」にして「ノーハウ」を伝えますと言い終えると
広間の若者たちから大きな拍手がもらえました。

つまりどろぼうにとられていた時間(いのち)を一足先に
戻しましょう的なはなしです(笑)

再び食事が始まりそれを待つことにした私に一人の女性が近寄って来て、
「今のはシーターヒーリングですよね?」と問われた。

「そうです」と答えると「私はレインボウチルドレンコース」を教えている
I代ですと自己紹介された。

そうなると話は早く「それでは手伝って下さい」と申し入れると彼女と
パートナーのお二人に快く協力してもらえることとなった(ラッキー)。

全て揃っている!!

# by sunnyww-yo | 2012-05-21 06:58 | こころとからだ