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花宇宙 ひとつらなりの生命(いのち)


幸島百番目のサルによる自然生活だより。
by sunnyww-yo
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いのちの花を咲かせる・・・1

昨夜から台風5号の影響で、雨が休みなく降り続いています。
地元の消防団の警戒パトロールの車が水しぶきを上げ走ります。

そんな中でパソコンに向かえることは幸せです。
    
  ・・・・・・

「いのちの花を咲かせる」ことが出来た、その生活には喜怒哀楽が
柔軟に表現され、人間としての優しさや強さなど、また先人を通じ
て私の中に生きる知恵も呼び覚まされ、一段と健やかな生活を送る
ことができます。

自分自身のいのちの特性に沿った出会いが生まれ、そのご縁の輪が
より豊かな人生を創造し、世界をも変えて行く力になると思ってい
ます。

そのためにたましいを抜かれたからだにたましいを取り
戻す方法をず~~と考えてきましたし、その実践もしてきました。

それが生きなおしをした私の使命でもあり喜びでもありました。

教育によって洗脳された「大脳の記憶」を修正し、本能的な力を
平和的に引き出す方法を「母親の立場」で研究してきました。

元気な気を抜かれて病気

病気をどうすれば元の気に戻せるか・・・それも医学に頼らず。

人には元々、自然治癒力なるものがある
どんな治療をしてもそこに火がつかなければ、人が元気には
なれない・・・そこをどうするか?ハートに火をつける。

人間といえども、大自然の中の一つの生き物、それゆえ太古からの
生命の智慧を受け継いでいるはず・・・。

ある日私は、大脳にダイレクトにつながっている器官があることに
気づきました。
それは触覚器官である皮膚にコミニュケーション能力が
あると思えたのです。

無脳症で生まれた赤ちゃんでさえ、誰かが抱き触れることで、笑う
時があると言いう事実を知って、嬉しくなりました。

皮膚は最も本能に近い「快・不快」を感じる能力を持っています。
怖いことなどに反応して「トリハダ」が立つと言うくらいですから。

この器官を通して「愛を伝える」ことができたら、
本能的に知っているはずの「愛の感覚」を目覚めさせることができた
なら、そのいのち本来の力が蘇ってくるはず。

しかし、そこで問題なのが「愛とは・・・」
あれこれ書物に目を通し、愛を語れる人の話に耳をかたむけ、愛が
ありそうな所にアンテナを伸ばし、浜辺を歩き、拾ったポリタンク
を叩き歌にならない歌を歌い過ごす毎日。

そんな私には「愛とは」「愛のエネルギーとは」どんなものであるか
を知っているという自負がありました。
なぜなら、40歳前後から夢の中で、その絶対至福に至るエネルギーを
年に2~3回、私が忘れない程度に味わっていたからです。

だれが触るわけでもない眠りの中で、目覚めるととても平穏で至福の
エネルギーに満たされた私が在るのです。
それは何があっても信頼できる、大きな安心で包んでくれるエネルギー
のようで、からだに溜まった汚れが浄化されるように、気分が最高に
優しく華やぐようなエネルギー体験です。

しかし、これはあくまで私の夢の中での出来事です、他人をこの世界に
連れ込むことはできません。
どうすればこのエネルギーを現実に手に入れ、苦しい思いをしている人
の呪文を解くことができるのかが、この時からのテーマになりました。

そう思うとゆっくりする間もなく、そのための出会いが始まりました。
お天道様は、決心したら状況を生み出す力の早いこと、早いこと。

# by sunnyww-yo | 2012-06-21 10:54 | こころとからだ

魂を抜かれたからだ・・・2

「母の時代・深い智慧に生きるために」  和田重正著から

さらに困ったことは、子供たちの親までが、学校の掛け声に
躍らされて、競争社会だ、学歴社会だと称して子どもたちを
震え上がらせ、彼らをあらぬ方に興奮させ、またヤケにさせ、
慢性的無気力状態を作っています。

このように学校を中心に、家庭も協力して青少年の知と情の
精神生活を極端に悪くしているのは否定のしようがない事実
ですが、それではそれは先生たちや、校長や教育委員の責任
かと言えば、必ずしもそうとは言えないと思います。

むろん多くの中には、箸にも棒にもかからないような教師も
いるでしょうが、それはむしろ少ないので、多くの学校教育
の関係者は、学校教育の現状をこれでいい、とは思っていな
いのだろうと思います。

なんとか、教育らしいものに変えて行かなければ、と日夜苦労
しているのが現状ではないかと思います。

でも実際、それら現場あるいはその周辺の人々がどんなに懸命
に努力してもビクともしないのが、

学校教育という怪物なのです。

「産業化社会の結末」

では、そうなっている原因はどこにあるのでしょう。
その怪物を怪物ならしめている力は何なのでしょう。

それは政治、産業、経済という、この世の中を実際に動かして
いる実力なのです。
その三者の中でも一番大きな力をもっているのは、産業であり
ましょう。

今は科学文明の時代です。その科学文明を最も活用しているのは
産業界であります。その産業界の動向によって政治の方針が決め
られるのが現実です。総理大臣でも産業界の親玉には頭が上がら
ないのを見ればわかるでしょう。

共産国や社会主義国では勿論、資本主義国でも、外見は政治が
産業を指導し規制しているように見えますが、内実は逆で、産
業が政治を支配しているのが実際です。

共産国でもあまり政治先導の建て前を押し通そうとすると、必ず
内外に破綻をきたします。
そのことはソ連や中共の実状をみれば明らかでしょう。

余計な話になりますが、我が国の政治と産業の関わり合いはほと
んど百パーセント産業優先型になっています。
したがって我が国の戦後の政治は、ともかく産業最優先政策を
とって来ました。

教育も国防も、福祉さえもその政策内で考えられて来ました。
その無理が現在いろいろな形ででているのですが、その話は
残念ながらよけて通ることに致します。

産業最優先の政治を行おうとすれば、要するに売ってお金の
儲かるものを、短時間にできるだけたくさん作るのに都合の
いいよぷなことを。政策を通じて行うことになります。

この方針が、産業界から特派されているような文部大臣を
通じて、各学校に通達され、それが具体的教育として実施
されているわけです。

そうだとなれば、学校という公の施設が、「人間の幸せ」とか
「人間の成長」を考えるのは、産業に有利である範囲内だけで
あって、本当に行うのは、産業要員として使い易い既製品の
大量生産です。

むろん産業界で働いている社長さんたち一人一人が、そんなこと
を意識してやっているとは思いませんが、結果としてそうなって
いると言うのです。

そしてわが国では、その方針を図に乗って強行してきたので、気
がついてみると若者たちがみんな「人間性」を抜き取られ、
たましいの希薄な道具になっていた、というわけです。

あまり図に乗ってたましいを抜いた道具製造に力を入れ
させたので、産業界にも役立たない腰抜けばかりが作られているの
に気づいた産業界もあわてだしているのが現状かもかもしれません。

ともかく道具には自発性のないのは当たり前ですがたましい
を抜かれた人間は道具にもなり切れず、本能的欲望は曲がりなりにも
残っているので、これがいろいろな形で噴出して来ると始末に負えない
行動となります。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

このように和田重正氏は30年前にこの著書を通じて、私たちの置かれ
ている「この国」の現状に気づき、この産業最優先に向かっている舵を
「真の人間の幸せ」や「平和」に向けて切りなおすチャンスが近い将来
来ることを予想しながら、書き残された気がします。

それは私自身が20年前に人生の舵を大きく切ったことにもつながる力
を感じます。
その力とは「自分一人の幸せが世界の全てとつなっがている」
という大きな喜びを感じるパワーです。

それはミクロな世界からマクロの世界までつながって相似性をなし、自分
一人の健やかさを真剣に追求すれば、宇宙までつながっているという感覚。
そして生かされている意味や感謝が湧いてくる毎日の生活。

そのような生き方を手にいれ毎日を送ることが、
いのちの花を咲かせる」
ということだと私は思っています。

# by sunnyww-yo | 2012-06-21 09:25 | こころとからだ

魂を抜かれたからだ

戦後、私たちは経済発展と共に、一見安全安心を手に入れ
高等教育を受けてきたかのような錯覚?をしています。

私たちや未来の子どもたちが、安心安全に暮らせる社会が
出来あがっているでしょうか?

いえそうではなく、この国に住む多くの人が自分自身の命を
絶ってしまう現実から何を学べばいいのでしょうか?

そのために、戦後の教育とは一体何を目的に推進されてきたかを
考えてみるのに分かりやすく参考になる文章を見つけました。

「母の時代  深い智慧に生きるために」 和田重正著
1982年12月10日 初版発行

精神活動がボヤケてきたP54から

科学文明の弊害の面を簡単に取り上げてみますと、科学文明の
追って来たのは前にも述べたように便利、安全、快適、高能率
といったことですが、それらのことは要するに、物質的欲望の
充足ということでしょう。

その目的を達成するには自然、大量生産が目論まれ、一面それを
円滑に回転させるためには金銭経済が確立される必要がありました。

これらのことは百年あるいは二百年かかって人間社会に浸透して
きた現象だから、人々は案外目先の華々しさに眩惑されてその弊害に

気づかないできましたが、実は科学文明即ち物質文明の急激な発展に
伴って人々は、人間が何千年、何万年もかかって進化の途上で獲得
してきた勝れたものを、見る見るうちに失って来ているのです。

 まず、努力、忍耐、工夫力、創造力(連想力、想像力)勘の
はたらき、手足の器用さ、仲間意識(連帯感)、これらの能力が
ここ20年来、若者たちの中から音を立てて崩壊してきました。

最近数年間はその崩壊速度が加速度的に著しくなって来ています。
それは筆者だけの感想ではなく、およそ日頃青少年と接触し、その
様子を観察している人なら誰でも気がついているはずです。

 ただ不思議なことは、小中高の学校の先生方の中に、この事実に
気がついていない人が意外に多いということです。
これはいったいどういうことでしょう。

われわれが何かの用事で学校に行ってそういう先生たちの実態に
接する度に、この社会自体の急激な崩壊を目の前に見る思いのす
るのは、明治生まれの老人の取り越し苦労のせいなのだろうか、
と嘆かされます。

 それはさておき、先にあげた努力、がまん以下のいろいろなことは
すべて、いわゆる精神的な要素をより多く含んだ力です。
ところが、人間が他の生物と異なる特徴は、その知情を含む精神活動
にあることは前に述べた通りです。

そうだとすると、精神活動がボケてきたということは、人間らしさが
失われてきたということになります。
もし優秀活発な精神活動が無くなってしまうのならば、ホモ・サピエンス
から類人猿に逆もどりするだけですから別段問題はありませんが、そうで
はなくて、精神がボヤケて来たのではどうにもなりません。

こんなに積極性に欠けて、しかも本能的欲望ばかりに引きずり廻される
人間が、世の中の大半を占めるようになったら、どうなるのでしょう。
惨憺たる結末になることは目にみえています。

中略

若者たちの、徹底的自己中心的(ほねおりをさける)生活姿勢と
グータラさ、無気力さをみた大人たちは、彼らを劇しく責めますが、
それは無理な話です。彼らは好んでそうなったのではありません。
不知不識のうちにそうされてしまったのです。

だはその真犯人は何者でしょうか。

それは教育である、政治である、産業である・・・と人々は簡単に
、そしてひとごとのように答えます。
私も機会あるごとに、至る処でそのように叫びます。

しかし、このような人間社会の壊滅的な状態を、もっと希望に満ちた
ものに立て直すことを本気で願うならば、そのあたりのところでひっ
かかっていてはケリがつかないことに気がつくでしょう。

それはまったく中途半端な問題の捉え方であって、本当の解決は
そのあたりのところにないことがわかるはずです。

なるほど青少年が急激にこうなって来たのは、彼らに働きかけている
教育環境が極端に劣悪だというところに原因があることは、誰でも
認める通りです。殊に、学校教育の根本的動向・・何を目指して現実に
教育が行なわれているか・・・という点に、極めて非人間的なものが
混じっていることが明瞭に指摘されるでしょう。

知育と称して行われていることは、相手の個性や能力や好みに構わず、
一律に知識を詰め込もうとし、その成果を単純な点数で評価するばか
りか、その評価を絶対視し、その上にさらにむやみに競争心を煽りた
てて青少年を慢性的不安焦燥状態に落ち込ませています。

これがいったい人間の教育でしょうか。

# by sunnyww-yo | 2012-06-20 16:25 | こころとからだ

からだの役割・・・2

からだ・・・って言うくらいだから空っぽがいい。

食べ物もお腹いっぱい食べるより、メリハリをつけて空腹時間も必要。
また腹に想いをためておくのもからだには良くないと思う。

とにかくからだは空っぽの状態が必要な容器。
打てば響くように・・・反響する場が必要だと思う。

物事を理解することを腑に落ちるという表現があるように
落ちるための空間が必要になる。

落ちるところは丹田
物事がここに落ちおると、からだが勝手に理想的な方向に動くことがある。

どんな理想かといえば人生を幸せに導くため。

食べることをセーブすることは出来るとして、腹に不消化な考えや経験を
ため込まないためにできること・・・手放す方法として。

気になっていることが、どのように完了すれば喜びになるかを良く考えて、
それを完了形にして言葉にすること。

神社やご先祖様にお願いする時も、21世紀型祈りは、完了形が
おすすめ!

自分自身の想いが強ければ強いほど、イメージがはっきりすればするほど
実現するのが早く、幸せの実現した舞台に立つ私は幸せ。

私のからだは神様がこの3次元を旅するために、私のために作って下
さった特別仕様の最高級の乗り物・・・
もちろんあなたのも同様です(^^)

私は20年ほど前から、からだ(乗り物)の扱い方に興味を持ちその後今日
まで、その目線で多くの方のからだの手入れを通じて人生
関わってきました。

とにかくお金を掛けない自然に沿った方法を第一として考えることに。

たいていの場合元気な時は気付かないことも、どこかが不調になると
生き方、つまり時間の使い方を見直す必要に迫られる。

それが当たり前のからだのしくみ・・・。
しかしそのからだの声を聞けない時を重ねてしまうと病気があらわれる。
これはからだからの大切なメッセージ。

ゆっくり自分と向き合う時間と空間をもつことが大事。

その結果進むべき道(時間の使い方)が気まった時、傍にいる人たちと
違う道を選ぶことになるかも・・・勇気が必要。

この時私の行動を見ていてくれるのが、お天道さま(^^)
雨の日も風の日も・・・夜も昼も・・・安心。

足るを知る・・・からだがタルであることを知るのも面白いかも。
タルになるために、冷えたビールの飲みすぎはよくないですが。

# by sunnyww-yo | 2012-06-19 13:05 | こころとからだ

からだの役割・・・

月始めから約二週間の旅を終えて戻りました。
毎回旅先での出来事や出会いは、からだの感じるままに
まかせることが多いのですが、これに慣れていない人は
戸惑うことが多いでしょう。

私がいう「からだにまかせる」とは?・・・
一言でいいますと、「心地の良い方向に進む」ということです。

が、なかなかこれを実行できる人は少ないように思います。

なぜなら、出来ない皆さんは真面目だからです(^^)

子どもの時、十分に安心安全を保障された空間で遊んだ経験を
もつ人は、大人になっても人生をクリエイト出来楽しめ、
死ぬまで元気で過ごせる可能性が高いです。

子どものころ、大人の顔色をうかがいながら、教科書に沿った
勉強で優秀に育った人は、インプットされたデーター内での
創造には強いのですが、いったんデーターにない状況が起こると
パニックを起こすことがあります。

そのため自分自身で判断することにためらいがあり、会議という
面倒臭い時間をたくさん必要としますが、これは公の場合には
仕方がないにしても、個人の生活では個人の感性に沿った生き方が
幸せな人生を生み出すことになると思います。

またその幸せが集まって、社会の幸せの輪が拡がっていきます。

例えば、主婦は毎日のお天気や財布の中身などを考慮しながら
家族の食事の準備をします。

家の冷蔵庫には何があって、野菜畑では何が育っていて使えるかも
考えますし、家族の年齢や健康状態はもちろんのこと、様々な要素を
考慮しながら毎食繰り返しこなしていきます。

このやりくりの経験から得られるデーターや機能は相当優秀なパソコン
搭載のからだ(乗り物)が出来上がります。

これを子育てが終わった50歳頃から社会参加する機会をつくり、
その経験知を教育や行政に反映させることができればいいなと思って
います。

特に核家族化してしまった現在社会においては必要なことだと思います。

そのためにもう少し、からだの特徴、性差など外見だけでなく、精神性も
含めてからだのもつ機能を知る機会を、義務教育の段階で取り入れていくと
自然と共生しながら豊かな人生(時間)を送れることでしょう。

つまり自然との共生なくして私たちの豊かな生活はあり得ないことを
まず再認識して、自分の置かれている環境をゆっくり観察することが
大切かな・・・と思います。

そのために、からだで感じる経験、肌で感じるとも言いますが、からだは
頭で判断するより信じらないくらい瞬間的に状況の把握をしてくれます。

# by sunnyww-yo | 2012-06-17 08:02 | こころとからだ