花宇宙 ひとつらなりの生命(いのち)


幸島百番目のサルによる自然生活だより。
by sunnyww-yo
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そこで話しは変わりますが、あなたはどんな番組が好きですか?
私は雄大な自然が映し出される番組が好きです。

自分が行ったことのない山や海底のようすを見ていると、
その中に暮らす生き物の色や形、生きる智慧の神秘さに感動します。

そしてこれらの生き物を創造された主を神と呼ぶなら、私もこの
神によって造られた完璧な一つの生命体なのだと嬉しくなります。

この美しい花や虫、魚たちを創造された
神の子どもなのだ!・・・と。

自然の中で暮らす生物はそのいのちの連鎖の中で調和をとるため

一人一役を授かり生活しています。

それなら私も同じ地球上で暮らす生き物として、その神秘(パワー)を
表現できているのだろうかと考えるような気づきをしたころがあります。

それは私が問題児になった40歳のころです(笑)
そのまま世間の女性のように更年期と言う病名をいただくような

おしとやかな生活をしていたら、危なく処方された薬物で今頃は
病院通いだったかも知れませんが、当時の私はさほど練習もせず
フルマラソンを5時間30分くらいで完走出来る体力でした(笑)

初マラソンだったため慣れた友人と共に走りましたが、その彼女が
「こんなに楽しいマラソンは初めてだった」と喜んでくれました。

その時の私の参加目標は「歩いて開聞岳、池田湖を楽しもう!」
そして時間は6時間以内にと言う設定でした。

それと同時にもう一つ大切な実験をしていました。
それは「宇宙エネルギー」をうまく使えるとどうなるか?

特別にフルマラソン用の練習もせず敢えてチャレンジしたのは
「宇宙空間エネルギー」の存在を知っていたからでした。

その当時の私は時間とお金は使える状態でしたから、知識欲の
旺盛になった自分自身に投資をすることができていましたので

波動の法則など興味あることを知って使えるようになりたい、
そのために尼崎市にある「波動研究所のセミナー」を受けたり、

私に足りない「経営能力」を修得したくて「ブライアン・トレイシー」
の経営ノウハウのプログラムを修得するための「ビデオとカセット」を
相当高額ではありましたがを購入して、毎日カセットの方をイヤホンで
四六時中聞いていました。

聞いても最初はチンプンカンプンでしたが、それでも聞き続けていると
ある日のPTA役員会で「あれ?いつもの仕切り方と違う自分」を
発見しました。

本音を言えば、もともと勉強熱心でない私が、PTA役員会と言う場に
参加すること自体非常にめんどくさいと思っていましたが、
役員のみなさんの人柄にひかれて毎回参加することができました。

そこですこしでも短時間で終われるように、また集まる回数も最小限で
済ませたいと考えていました。
そこでゴルフの石川遼君が宣伝するあの英会話の聞き流し方法のような

聞き方で、年齢・成績関係なく能力が開けているのを実感することがで
きた瞬間でとても不思議だったのと嬉しかったことを覚えています。

またいつも同時に考えていたことは、それをどうしたら
具体的にお母さんたちにノーハウとして伝えられるか?でした。

私が参加した日本で一番はやく開催されるそのマラソンは、
鹿児島県指宿市での「菜の花マラソン」で新春の風に私が大好きな甘い
菜の花の香りが、沿道の声援と共に心地良かったのを今でも思いだします。

当時私に比べたら世間のお母さんたちのくたびれようはどうしたんだろう?
また若者の精彩のない顔はどうしてなんだろう・・・?

私には不思議なくらいみんな元気がないので人混みが嫌いでした。

「元気」という字を見ても分かるように「元の気」と書きます。
「病気」とは読んで字のごとし「気が病む」と書きます。

つまり精彩があり健やかであると言うことは「元気なだけ」なのです。
元々備わっている力を使うこと、なぜこれが難しいのかが難しいのです。

もしそれが伝えられるようになれば、一緒に子育てしてきたお母さんたちの
苦しみ解決もできるし、今後問題児をつくらない育て方が分かると考えました。

私は勉強をしなかった分「感じる力が育つ」と言うより「失わなかった」
のではないかと最近強く感じています。

なぜなら還暦を過ぎた今でもここ宮崎の南端から兵庫の実家まで
約1.000キロをマイカーで12時間程かけて走ることがたびたびあります。

そしてその運転中にラジオやCDなどを必要とせず、調子よく
走り続けることが出来るので不思議ガられることがあります。

私から言わせてもらうと、人工的な音は私にはノイズになり、
運転に集中するのには邪魔になり逆に疲れの原因になるのです。

それは宇宙音をいつも聞いているからだと思います。
例えるなら、衛星波でカーナビの電波をとっているようなものです。

それは私と他の人とのスケール(受信機)の違いかと思いますが
私たちは太古の昔からいのちをつなぎ、今また新しい誕生を迎えます。

この繰り返しが私たちのいのちの遺伝子には組み込まれていることは
、科学でも証明されていることですから周知の事実ですね。

そこで改めて「人間」つまり人は自然に属していないのかと考えますと、
やはり犬やネコたち動物と同じ「空気」を吸って生きています。

それではこの空気は誰が造り、誰が販売しているのでしょう?
キリンでしょうかサントリーでしょうか・・・?

こんなふうに私の発想は展開するのです・・・(笑)

こんな話をすると私より年配で「病気」を持っている人がよくいわれる
言葉がそんな当たり前のこと考えたことなかった。です。

そしてその人たちは(マイ母など)とても真面目でご先祖のお花の水や
お線香をあげ、難しそうな呪文をすらすらと唱えるのが大切な日課です。

その行為を馬鹿にしているわけではありませんが、そのご先祖さまに
「K子が賢くなりますように」チ~~ンと金を鳴らしておわりです。

その元気の源のことはあまり考えないで済ませてしまえる
幸せな人たちです。

ありがたいことですが、それを信仰深い生き方だと信じていることに、
たまに腹立たしさを感じる私がいます。(笑・汗)

私は特別な宗教は持っていませんが、いつも「宗教的な生き方」を
していたいと思っています。

ありがとうございました(合掌)
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by sunnyww-yo | 2012-05-25 07:08 | こころとからだ

2012-05-25  3-5時間の橋

時の浮橋

私は兵庫県生まれなので関西人と言うことになります。
子どものころから、しょうもないダジャレが好きです(笑)
日常会話でも、気がつけばおじさんギャグを使っていることも多い(汗)

関西人気質この気質を動かすには子どものころから
その環境にあることが大事だと思います。

なぜなら言葉は大切な文化だからです。
そしてそれを話す大もとを表現する本音だからです。

関西人のどんなことでも「笑いの種」にしてしまう気質
私はこの気質はとても大切だと思いますし好きです。

特に大震災で何もかもなくした人が、身ひとつで助かった時
そこに「笑う種」があれば生きる力になったと思います。

それは仮設での子どもたちの笑顔と前向きなエネルギーに
多くの大人が救われたことでも分かります。

ところが今言葉は標準語になり、頼りの子どもも少子化で
だんだん「笑いの種」の数が減って来ています。

これでは日本人の種というだけの意味ではないのですが、
なぜ日本人の現状がそうなってしまったのかを私はこう見ています。

その前に、私は地球そのものも一つの生命体であると思っています。
その中に生かされる人種の役割について、また日本人の役割について。

そんな私たち日本人の役割について考えることがあります。
考えると言うより「感じる」と言った方が良いかもしれませんが。

ところで表題の「時間の橋」のことですが、最近このブログを
書きたいと思うようになってから、目覚めて時計を見ると、
決まって夜中の2時35分なのです。

これを関西の乗りで解釈すると、にじのさんご=虹の産後 とくるのです。
また書き始めた時間が3時5分、これも さんご=産後 と私には読めます。

それで今日の話題は「産後」つまりお産の話をしょうとなるのです。
つまりその解釈の仕方には「遊び心」があります。

この自然に呼び覚まされるような気分の良い目覚め方で
私は子どものころから目覚めます。

そしてお布団を離れる準備ができた身体は、まるで整備の行きとどいた
乗り物のようにエンジンのかかりが良いし出足も好調なのです。

こういう読み方で虹の橋がかかったので活動の時間が始まると解きます。
それではこの虹の橋は時間(時空)を渡る橋なのです・・・?

またこれを話すとヘンなおばさん度が増しますが・・・(笑)
どこにかかって何をするための橋なのかを私流でお話ししましょう。

しかしこれが私の元気の源でもあるのですから必見の裏ワザかも!
そして私が貧乏生活(?)で見つけたお金に頼らない方法です。

つまりこの時間帯に私が知りたいことややりたいことをするのに
まずイメージまたはインシュピレーションを必要としますが、

それはどこから来るかと言えば、宇宙から流れている音をキャッチ
しそれを受信機そのものである身体で感じるのです。

そして身体から湧きあがってくる「直感」として受け取ります。
つまりひらめき(霊能力)なのです。

しかしこの電波が乱れていたり受信機の感度が良くなかったりしますと
せっかくの音も聞き取ることができなかったり、せっかく受け取れても

意味を理解するまでに時間がかかります。
これでは関西でいう乗りのいいギャグになりませ~ん。

この宇宙音を受け取るには、受信機の感度を整備する必要があります。
時代によって宇宙から流れる電波も周波数が変わリますので、そのつど
チューナーを入れ替えるように何がしの対策が必要になります。

これをたとえると、ラジオやTVの電波のようなもので、昨年も放送局側が
出す電波が地上波になったので、受信するためのアンテナを取り替え
チューナーをつけるか地デジ対応の本体を購入するかで大騒ぎになりましたね。

このように電波を出す側と受けとる側の関係はとても密接で大切です。
つまりこの音に合わせないと見たい番組も見られないことになり、情報も
とれなくなります。

余談ですが、現在社会ではTVのない生活は考えられない人が多いので、
経済成長を助けましたが、多くのゴミを出すことになってしまいました。

私の身体はおかげさまで宇宙音(波動)を心地良く受け取っています。
それが「☆をもらった話」になるのですが、これは見える人と見えない人が
いますし、これは科学では証明のできない事実ですから少し困ります。

日本人でも過去にも宇宙音を聞いてメッセージを残した人がいます。
有名なのが戦後宗教弾圧を受けた大本教の開祖「出口直女史」。

彼女は宇宙エネルギーを感じるままに「ひらがな」で書きつづり
有名な「お筆さき」を残した霊能者です。

また「数字」を受けっとた霊能者は「日月神事」として残されていますが
どちらもこれをどう解くかで、千差万別の解釈法があります。

そして大本教関係の日常的な生活を表している「大地の母」を読むと、
霊能力が開けてもつながる局でその人の人生の顛末が大きく違ってくる
ことが分かります。

この霊能力をTVにと例えるなら、デジタルからアナログに変化した時、
電波をキャッチし対応出来る受信機が非常に大切になってきます。

ところがそれを分りやすく素敵な作品を通して教えてくれている霊能者が
大本の二代目「出口オニサブロー」ではないかと思っています。

もちろん「霊界物語」なる怪しげな本もありますが、「ウーピなど」
ユーモアやウイットにとんだ表現が信者ではありませんが私は好きです。

彼が創作した陶芸作品や絵や書などは生活感豊かで、見ていると色や形から
「明るさや温かさ、創造の楽しさ」を感じ幸せになります。

彼ほど芸術的評価が高くなるとは言いませんが、私にもまねることは
できそうです。
なぜならこのような能力自体「誰にでも備わっている」と私は思って
いるからです。

その能力を引き出すことこそエデュケーション教育(引き出す)の役割だと
思うのですが、現段階では公は反対方向に目が向いているように思えます。

教育は後でお話するとして、先に進みます。

オニサブローさんのようにTV番組と同じようにイメージで伝えられると
言語や習慣の違う民族同士でもコミニュケーションがとりやすくなります。

すごく判りやすく、伝えることもですがまねもしやすいですね。

その宇宙音、つまり色んな波の川を超え、人生が楽しくなり見る人をも
幸せにする、魚や草花と同じチャンネルにつながるための橋が

「虹の橋」なのです。

それは見えませんが、運が良ければ空にかかるとして
見ることができますよ。

こんな私に考え方を肯定してくれる書物にであいました。
「メタサイエンス」宮嶋望著、地湧社から出ていますので、おすすめです

また梅雨に入ると虹が見えるチャンス到来です、ご一緒に楽しみましょう(^^)
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by sunnyww-yo | 2012-05-25 05:11 | こころとからだ

時間の橋

このテーマでお話する前に朝風呂につかりマッキーに
プレゼントする歌が浮かんでこないかなと思っていると

なんと「母の御印の下に」という応援歌が・・・
湯船でいい気持ちで歌ったのですが、過去にも何回かありました。

いい歌だったのに・・・。
歌ってしまうと消えるように忘れてしまうのが特徴(笑)
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by sunnyww-yo | 2012-05-24 04:42 | こころとからだ

最優秀賞は変な女性(ひと)に

2012-05-23

お昼前から幸島の前の浜に、先日金冠日食を共にしてくれた
チルドレンが20名ほど集まってくれました。

金冠食から今日まで私に起きていることをシェアーさせて
いただけました。

それは,とあるゲーム優勝の副賞に
もうひとつの地球

もらったという報告です。

なに~?それ~?うっそぉ!!

あほらしい!!

そう思われても仕方がありませんが、私は宝くじで三億円当選したより
嬉しく、あまり多くの人には言わないように「にんまり」しています。

蛾の時代

そのゲームの始まりは結婚21年目の記念日あたりから始まりました。
友人夫婦とホテルで開かれるフランスから腕のいいシェフを招いての

お料理と美味しいワインをいただくために、駐車場からホテルの会場に
向かっているときでした。

月のとてもきれいな夜でした。
月明かりに誘われて飛んできたガのように、突然のひらめきです。

「あ~~私は結婚していた!」ことに気づきました!
もうこのあたりの話からついてこれない人が・・・(笑)

何を言っているの?今結婚記念日で食事会に・・・?
夫に申しわけない・・・と思いながら口数少なく歩きました。

誰にも悟られないように自分自身との会話が始まりました。
それでは今まで私はどうしていたの?そしてだれ?

この問いに即座に「旅行者」という答えが返ってきました。
わ~やばい!!私3人の子どもも生んでしまったのに・・・?

そして答えているのは「もう一人の自分」。
本気で自分の立場を考えている私がいました。

その日はとりあえず、自分をごまかし美味しいごちそうと
ワインを楽しみいただくことに集中しました。

その日から夜中の2時を過ぎるころから目覚め、いろいろと
過去の自分の過ごしてきた時間のことを思い出すのです。

まず24時間いつでも入いれる循環風呂にはいります。
このころは目も良く見えていたので、本を一冊持って入り
ゆっくり湯船につかりながら読んでいました。

そうすると、身体が温まるにつれてまるで言葉が発酵して来て
心地よいリズムで詩のように文章が生まれてくるのです。

あまりに面白いので、落書き帳に書きとめるのが日課となりました。
それまで物を書くなんてことのできなかった私はリズミカルに出てくる

言葉のおかげで、自分が今まで歩んできた人生を振り返り、
それがこれからの人生とどうつながるのかが鮮明に見えてきました。

それが終わるころには朝日が昇ってきます、その朝日に向かって
当時の愛犬と大淀川の堤防をゆっくり時間をかけて散歩します。

まだ家族を起こしたりお弁当の準備に入るには時間が早いので、
「存在の詩」を抱えて大淀川にかかる橘橋の下に行きます。

そこには近所の御老人やホームレスのような人が、
釣り糸を垂れているいる人の近くにゴザをひいて何するでもなく
たむろして時間を過ごしておられました。

そのうち私も仲間に加えてもらって、愛犬と私の場を空けて
もらえるようになりました(笑)

その時は分りませでしたが「モモ」の中にあった「時間の国」に
どうやら私は着いていたようでした。

そしてそれは天の虫と書く「蚕」がふ化し蛾になったような
イメージで私の「我」が生まれた時期でした。

それからです、世の中の経済中心の仕組みに気づいた私が、夫を
相手にその仕組みの説明をはじめるのです。

そしてその糸口として、毎日の生活の見直しにあることを提案するのですが、
何しろ子どもの小さかった頃からの話を引っ張り出し説明しようとする私の
話は、彼自身が責められているように感じるらしく解り会えませんでした。

またその当時の私には、私の身体の中で起こっていることを説明する
言葉を持ち合わせていませんでした(共通言語がない)

結婚後、新築の家に2度も住まわせてもらい、生活には何ひとつ
不自由なく暮らせていた私でしたが、私にも何がそうするのかが
良く解りませんでしたが、とにかくイライラするのです。

それを世間では更年期障害と呼んで、女性を貶める病気の診断を
するのですが、幸い趣味のバドミントンでストレス解消ができていたので、

さほど気になる症状ではありませんし、夫にぶつける元気がある私は
身体はいたって元気なのですが・・・心が晴れません!!。

結婚21年も過ぎ、子どもたちもそれぞれに進学し、
何の問題もないように過ぎてきた日々を蒸し返され、

何をどうしたいのかも具体的に話せない私の話しでしたから
聞く方も辛かったと思いますが、私も息苦しさで死にそうでした。

そんな時期に出会ったのが、前出の鳥山敏子さんや地球村の高木さんの
講演やワークショップでした。

そして「たましい?」の存在をしり、私の中で私に語るもう一人の
私に「魂」と言う呼称で再会することができ腑に落ちました。

それから「精神世界」というジャンルの書物や「波動」、「気功」
「宗教・哲学」、「教育学」、「神秘学」、「人間学」、「人智学」。

「絵本」に「童話」手当たりしだい気になる講演を聞き、本を読みました。

知りたい

という興味を満足させるべく、知識に飢えている私は

人生で初めて自分から書物を手にし人の話に耳を傾け

学ぶ喜びを知りました。

遅い!!ですよね・・・40歳を過ぎてました(汗)

しかしそれを書いた先人たちの智慧は、私の魂の飢えを満たしてくれ
私は人生で忘れかけていた「役割のようなもの」を思いだすことができたのです。

時を超えて先人たちと会うことができました、波動のすごさです!。

その時、「書物はすごい!!」と実感し「サルとはここが違う!!」
となんだか人間に生まれたことが嬉しく感じられました。

「本が読めて・・・?」バカみたい!!
本当にバカでした、これを関西ではアホと言いますが(笑・汗)

その時の人智学者シュタイナーの思想を受けて書かれた童話、
ミヒャエル・エンデの「モモ」が私の人生を変えてしまったのです。

たった一冊の童話がです。

なぜなら、そこには私が苦しみ、多くのお母さんたちが苦しんだ
原因や解決法のヒントが書かれていたからです。

良くTVや映画で古くから伝わる言い伝えや、昔の書物からヒントを得て、
宝探しの旅に出かける「冒険家の物語」スピルバーグの世界そのものですが。

一冊の童話を頼りに「冒険に出る決心」をしかかっている私は子どもの
父親と共に行きたかったのです、どうか解ってもらえないかと毎日

チャレンジしてみるのですがぜんぜん通じる様子がなく、仕事を終え
私の話しにつきあうことが苦しくなった彼は、夜の街に出て夜が更ける
まで戻ってこなくなりました。

私は四十路を過ぎ、三人の子持ちで、学のない普通の主婦ですから
このゲームの募集を感じた時から、私は枠外だと思う自分もいました。

そのゲームの募集要項は、いろんな書物の中に隠されていて、
それを見つけるのも楽しみでしたが、「説明できない人生ゲーム」に

はまってしまった自分を当時の友人にも説明することができず
本当に苦しい日々を送っていました。

その当時私の周りの人に相談しても帰ってくる言葉は想像できましたが
相談せずにはいられず、一人だけ口を滑らせたことがあります。

帰ってきた言葉は、「もう少し我慢したら、この家はあなたの天下になる」でした。
義理母と同居していた私を見て、友人には夫と同じように
今の環境を悔いているように聞こえたのでしょう。

「次元が違う!!」「観ている世界が違う!!」と言いたいところですが、
観えてない人に行っても始まらないので「そうねぇ~」と苦笑いです。

そんな時、今いる串間市市木の対岸の野生ザルの島、幸島にある
京都大学の研究所に絡む河合雅夫教授の講演会「人間とは」に
誘ってくれる友人Mさんがいました。

講演会当日、友人に頼まれてその会場設営などを手伝うことで主催者の
三戸サツエさんにお会いすることができました。

一部の小学校の教科書にも紹介された、サルの観察を続ける中で
「サルの芋洗い」を発見された白髪のきれいなあの三戸先生です。

その先生もこの4月97歳で天国に召されました(合掌)が
当時「幸島自然苑」という空間を持っておられました。

そのおかげで幸島の近くにある先生の事務所にたびたび遊びに
行くようになりました。

もともと市木集落へは年末になるとお歳暮用の「ポンカン」を
生産直買している家に何年か前から来ていましたので、海あり山ありの

市木で過ごす時間は、流れがている空気もちがい時間の心地良いこと。
癖になります(笑)

すっかり事務所でもお馴染さんにしていただき、当時のスタッフの方がたと
海に入ったり、温泉に入ったり、本当にのんびりした時間の中で癒され
本来の自分に戻って行くことができました。

そんな時間の中で現在の連れ合いのYさんにも出会っていました。

こむずかしそうな顔をした彼は私の苦手な秀才タイプだったので
直接話すことはあまりなかったのですが、0戦のプロペラを

利用したイルカ風車を造っている姿は少年のようでした。
そして彼がこの事務所に来るまでの道のべでとったという

草花の写真を見せてもらうのが何よりの楽しみでした。
その写真からは私が子どものころに見たいのちを感じる原風景がり、

匂いや風をも感じるような優しく愛情深い作品でしたので、
何回何時間見ていても飽きることはありませんでした。

彼に対しても自然と苦手意識が薄れ、撮影時の話しなどを聞き
楽しく時間を過ごすようになり、いつの間にか誰にも話せなかった
心のうちを話すとようになりました。

すると彼は他の人とは違って、私が話していることが分かるらしく
彼の愛蔵書の中から一冊の本を手渡してくれました。

バグワン・シュリラジニーシ・和尚 「存在の詩」でした。
分厚い本でしたが借りてかえり開くと吸いこまれるように、

バグワンの講話を映像で見ているかのように、
その場面に吸いこまれて感じている自分がいました。

当時の私は末の子どもの入試前に習った「波動による速読法」を
少し身につけていましたので、一気に読め楽しめてしまいました。

それから読んでも自分なりに体験を通さないと解らない私は、
新しい本借りて読むたび「読んでこう思ったので、こうしたら

こうなった」などなど、読書家のYさんがびっくりするくらい
の速度で魂を成長させてしまいました。

でも「精神世界は入ったら出てこれない世界だから」と真剣に
止めるように説得してくれる彼がいました。

当時、私は三人の子が世界を旅するようになった時、どの
国も平和で安全でないと親として心配でした。

せっかく激戦地から無事戻ってきて、いのちをつないでくれた
亡き父の悔しい思いを平和の世に受け継ぎ大切に使いたかったのです。

そしてその子どもたちが安心して生活が愉しめる環境を残したい。

合わせて病気になってからの手当法ではなく、死ぬまで元気に過ごせる
生活の知恵をお母さんたちに伝えて行きたいと思いました。

そこで、これからの人生の時間はこの課題に
いのちをかけようと思うようになっていました。

その思いを子どもの父親に話すのですが、なぜだか通じません。
彼は医学系の大学を出ていて「学生運動のデモ」の経験もあり

「今こそ子どもたちのために立ち上がろう!」と誘っても
一向に私の方を向いてくれませんでした。

「戦わないで、世界を平和にする」これがどうしたら可能かが
分るかもしれない大切な時間の旅です、同行者が欲しい私です。

話し始めて二年近く過ぎていましたが溝は深くなるばかりなので、
これ以上彼を苦しめることはやめ、一人でも「冒険の旅」に出る
決意をしました。

「銃後の母になるより、子供の盾に慣れる母」を目指して!!

その決意をした翌朝のことでした。

子どもたちを送りだしてひと段落して、彼を起こしに寝室に入ると
ベッドサイドに座って声を出して泣いている彼がいました。

22年の間で見たことのない彼の姿に「どうしたの?」と

驚く私が訪ねると、走馬灯を見せられたと・・・

なに?それ?

それって死ぬ時見ると言う「あのソウマトウのこと?」
そうかもしれないけど「二人の結婚してから今日まで22年間の・・・」

それも私の気持ちになって見せられたというのです。
「やった~旅の同行者ができた!!」と喜び「それで?」

と聞くと彼曰く

ここまで成長したら、おめでとうと言うしかない

そう言われてしまうと、がっかりしましたが「やっぱり」と
感じている自分がいました。

こんなことが起きてお互いに別居を納得せざるをえなくなりました。

改めて天に「なぜ私ですか?」と質問すると
現在社会で起きている問題の意味を理解し、解き方のヒントも

あなたは見つけたから・・・と返事されましたが、条件が
「非対立・共生」そして「楽しく」です。

自分以外のものに責任を押し付けるのではなく、
自分自身が変わることでまわりが変わる方法


それを見つけるのはた易いことではないと想像がつきます。

決心はしたものの40歳を過ぎた自分の全人生をかけるには
楽しそうですがリスクも多いような気がしました。

そしてもう一度天に「私はこの生活に定住したいですが、どうして
私なのですか?」としつこく聞きました。

すると天の声は あなたは元気だから・・・

これには返す言葉がなく、妙に納得して「この人生ゲーム」に
チャレンジすることにし冒険の旅に出ることにしました。

よくいわれる言葉に「こんなことなら死んだ方がまし・・・」
私も身体があって「説明できない生き方」をする寂しさを

いやと言うほど味わいながら、あふれる涙と言うのはこのことかと
身体中の水分が無くなりそうな程の涙を誰にも見られないよう
流しました。

しかしこの涙には、ふたつの意味がありました。

自分が閉じ込められていた世界からの解放された喜びと、
愛する家族との別れに対するせつなさから来るものでした。

でも私には「この愛する人たちも絶対解放するぞ~~!」という
硬い決意がありました。

という長~い説明でお分りいただけると幸いですが・・・

こんなゲームに20年前応募して、最優秀賞をいただいて
その副賞がなんと「星ひとつ」いただけたのです。

大きすぎて誰にも見せられないのが残念ですが・・・
料理店の☆からすると少ないのですが、ほんものの星です(^^V

こういうことを還暦を過ぎた私が言うのですから、ヘンな女性(ひと)。

でも私には真実なのです。

そこでその話を信じられ、その星の住人になる可能性のある
チルドレンが今日この幸島に集まってきたという訳です。

もともと近くのの神社に参拝予定だった彼らの集まていたところに、
偶然参加することになった私の遊びを共有してくれ、
その場にいた22名のチルドレンが輪になり歌い踊りました。

三児の母Yちゃんのこぼれるような笑顔でのあいさつ、マッキーの歌
「手と手のぬくもりが・・・何よりの真実」と歌いました。

そのあと私は「星をもらった女性(ひと)」の話しを語りました。
そのイメージを共有してもらうため大切に飾っていた「クリスタルの地球」
を中心に据えてみんなが輪になったまま聞いてくれました。

お天気も良くとてもきれいな空気が流れているのを感じられました。
生まれたままの姿で遊ぶ子どもたちの姿は平和そのものでした。

「人生ゲーム」スリル満点! 最高!
これまで私とご縁をいただいた全てのいのちに感謝しています。

そしてここまで楽しく無事私をゴールまで導いてくれ、
そしてこの旅の乗り物となってくれ、これからも私の

この世の時間の許す限りの大切な最強軍団六十兆の仲間である
  
か ら だ 

ひとまずありがとうございました。

これがゲームの終わりでこれからがわたしの仕事の始まりです。
育ててくださったこの国、この地球に恩返ししたいと思います。
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by sunnyww-yo | 2012-05-23 16:10 | こころとからだ

安全神話

私は原子力発電について、末っ子が中学三年生の時PTAの研修会で
鹿児島の川内原発を見学に行ったことがあります。

その当時の私は「原発」と言う言葉さえ知らなかったように思います。
そしてそれが「放射性物質を反応させてお湯を沸かし、タービンを
回しているなどと言うことは無知な私の知る由もないところでした。

鹿児島まで行くのに参加費がほとんどいらず、あちらこちら
見学させてもらいながら昼食用のお弁当がついてのバスツアー
だったので至れり着くせりだな~と思った記憶があります。

その見学で立派なPR館に展示されている模型の前で、
きれいなスーツ姿の女性の説明を聞きながら・・・

「・・・だから安全に造られています」と繰り返すその声とは裏腹に、
私の中に「この圧力鍋のようなものの中で何をしているのだろう?」

「何重にも保護しなくてはならない鍋の中身とは・・・?」

私の単純な頭はそんなにキケンなこと!

というふうに理解してしまったのです。
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by sunnyww-yo | 2012-05-23 10:41 | こころとからだ

早急に必要な処方箋

その避難民の特にお母さんが必要としている放射能から身を守る
対策方法を早急に発表し伝える必要があると感じています。


私は40歳を迎える頃から、身の回りに起こっていることを感じる
感じ方(視点)が他の人と少し違うことに気づきました。

世間では病気になれば病院に行きますが、私は寝て直します。
また世間では病気の原因を「病院の先生」に聞きますが、
私は自分で考えます。

そして何より身体に備わっている「自然治癒力」を大切にします。

だから病んでいる気「病気」を元に戻すよう注意をし「元気」になります。
たいていこのやり方で3人の子も育ててきました。

もちろんこの感覚を大切に家業の事務的な手伝いと
家族の食事や洗濯掃除と趣味をこなす主婦であり母親でした。

そのころの私は、自分の立場である専業主婦の座を大切な家族の
いのちを守る「いのちの管理人」であると位置づけていました。

「いのちの管理人」とはちょっとオーバーな・・・?
と言われるかもしれませんが、その呼び方をすることによって
家族の中で自分自身の存在の意味を表していたのかも知れません。

もちろん家族にこの表現を使って話したことはなく、
私だけが知っている「私の座」でした。

なぜそう呼びたかったのかを自分自身に問いただしたところ、
お金を稼でいる仕事を持つ人は存在が見えやすいのですが、

専業主婦の仕事はお金を生みだす仕事ではないので、目立ちません。
家族の中でもその存在は「当たり前のこと」として忘れられがちです。

そんな自分自身を励ます居場所のようなものだった気がします。

同居の義理の母にも可愛がってもらっていましたし、
大きな夫婦喧嘩と言うケンカもしたことがない「普通の家族」
の日常でした。

くる日も来る日も、掃除洗濯、三度の食事の準備・・・
別にその作業を嫌いでなかった私は「幸せ」でした。

嫁いだ宮崎市には誰も知人はおらず、自営業の従業員と親族や
義理母の友人などが生活する上で私が主に関わる人たちでした。

その従業員の中には、従業員に昼食を出していた関係上お手伝いの
Yさんがいてくださいました。

正直で明るい信頼できる方で子どもたちの面倒も良くみてくれ、
よく気がつきこまごまと動いてくださる近所のおばさんでした。

私は、昼食の準備や食事が終わると後は「自由時間」です。
お菓子を作ったりミシンをかけたりして楽しい時間を過ごしました。

同世代の人たちと出会ったのは、一人目の子が幼稚園に上がった時でした。
毎日園の送り迎えで出会うお母さんたちとだんだん親しくなり、
お誕生会など家の外での交流も始まりました。

そのお母さんや下二人の子どもを通じて知り合ったお母さんが
健やかな子どもの成長を願う仲間です。

それは1980年頃の話で、子どもたちが元気に過ごしてくれる日は、
母親にとっても天気の良い日のように気分が軽く心地良いものです。

その時代を懐かしく思い出させてくれる子どもたちはもう三十路になり
社会の一員として生きていますが、今現在子育て最中のお母さんたちは

そんな当たり前の生活が2011年3月11日のあの日から
「原発事故」による放射能によって奪われてしまったのです。

五月晴れの太陽の下で、子どもを遊ばせることや洗濯ものやお布団を
干すこともままならない情況に、お母さんの心労がつのって来て
いるのを感じます。
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by sunnyww-yo | 2012-05-23 05:31 | こころとからだ

2012年5月23日(旧歴4月3日)

昨日の朝起きた天体ショウ「金冠日食」を雨降りのため
私は「見ません」でしたが、感じる目で「観て」いました。

ところがその雨の中で「金冠日食」を実際の目で見た人たちがいます。
それは20日の夜市木舳(へた)の公民館に集まって来て、

私の話を信じヒーリングを受けてくれた、
「100パーセント自分自身の幸せのためのエネルギーを

取り戻すことができた」インディゴチルドレンあるいは
クリスタルチルドレンと呼ばれる人たちだと思います。

これらのチルドレンについては後でお話するとして、まずは今ここで
「起こっていること」をお話したいと思います。

そのYちゃんに率いられ公民館に集まってきた大人たちは現在の社会の
あり方に早くから居心地の悪さを感じ、「自分の心地よい空間」を見つけ
生きてきた人たちです。

しかし現在社会の都会の中には彼らを喜んで受け入れてくれる環境はなく、
また彼らもそれを好まず、旅から旅を繰り返し人生の大半を過ごしています。

そのため彼らは定住を嫌い世界中を旅することができる「フットワークの軽い」
素敵な人たちで「ヒッピー」と呼ばれています。

そして彼らはバックパック一つで旅ができるので、生きるのに必要でない荷物に
あまりお金をかけない生き方がとても上手なフレンドリーな人たちです。

今回も22年間続き今年で最後になったらしい「虹の岬まつり」の会場で
市木から参加したYちゃんたちの呼びかけで感応し来た人たちが大半です。

もちろん彼らにも家族があり、会場を所せましと走りまわる元気な子どもをもつ
親でもあります。

「そんな生き方」があることすら知らず、現在社会で「普通に生きてきた」
普通のお母さんと子どもたちが何組か混ざっています。

それは2011年3月11日この国で起きた

地震・津波・原発事故による避難民なのです。

目に見えず、匂いも色もない「福島原発震災の放射能のキケン」を感知し
小さな子どもたちを抱えて避難してきた人たちです。
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by sunnyww-yo | 2012-05-23 04:16 | こころとからだ

前後しますが、ありがと菜

今年の3月11日大分での集い以来の知り合いになった
Rちゃん、Sちゃんのお声かけで、Yさんと19日の14時過ぎから

「ありがと菜」の会場である、宮崎県北部の延岡市北方から近い
「宇目の道の駅」に来ていました。

「天女人(てんまど)まつり」で二人にゲストで参加してといわれたからです。
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by sunnyww-yo | 2012-05-21 09:01 | こころとからだ

キンカン日食

2003年5月21日 お天気 雨 新月 風強し。

「金冠日食を市木で見よう」の呼びかけに若ものが集まって来ています。
その数、子供も入れてヘタの公民館いっぱいです(5~60人)。

昨夜の9時から「市木のグランマK子さんの話し」と言う
時間がとってありましたので、大分の宇目を16時に出て20時頃戻り、

Rちゃん家族とM君の運転で会場のヘタ公民館に向かいました。
車に乗り込み5分ほどの会場に着くまで、大ぶりの雨にみそがれます。

築島前の国道から少し山側にある公民館なので、国道に車を止め
傘をさして坂を上がりました。

公民館の入口に脱いである靴が大小半端ない数です。
ドアを開けると公民館の広間を走りまわる子どもたちの歓声で
押し返されるような状態です。

とりあえず呼びかけてくれたYちゃんを探し到着を告げ、
落ち着ける場所を探して広間に入ったら、「わ~K子さん」

といってハグをしに来てくれた数人の子どもたち(大人)と挨拶。
九時から私の話しを聞いてくれる予定まで30分程ありました。

ハグをした子が抱いていたE君を受け取りしばらく抱っこをし
ウロウロしたので会場の雰囲気に慣れてきました。

みんなは夕飯がまだのようで、用意されたテーブルに美味しそうな
食べ物が並べてありましたが私はYさんと済ませて来たので、

テーブルから少し離れた場所に腰をおろし、膝に来てくれたRちゃんと
みんなのようすを見ながら待っていました。

走りまわっていた子らも食事が始まると少し静かになりました。
大人も食べ始め口に食べ物が入ったので、公民館の中は平常になりました。

時間も丁度よかったので、食事しながら聞いてもらうことにし話し始めました。
そしてこの日本という国「日本丸」の状況と宇宙における地球の「この場」と
明日の(21日)金冠日食で何が起きるかを話し始めました。

呼びかけのフライヤーには「母の時代」とうたってありましたが、
話の展開がみんなの予想外だったようで面白かったのか、
食事の手を止めて私を注目してくれるようになりました。

私たちは仕組まれた経済優先の社会で「日本丸の漕ぎ手」として「時間」を
「お金=エネルギー」としてとられてしまった日常の中にいることを伝えました。

その「常識」という檻の中にいる家畜化した現代人の生活。
その中で息苦しくなり「麻薬」や「お酒」「パチンコ」などで
さらに金銭的にも追い込まれる生活の悪循環。

やがてそのストレスから身体を壊し医療産業という餌食になり、
生血を吸われるような闘病生活の始まり。

そしてその仕組みが昨年の「3月11日の原発震災」で壊れ、
その檻からにげきてた子どもたちが今ここに「朝日の子」として
集まって来ているのだと話しました。

そして明日「失われた時間」が解放されようとしているのだと話しました。

この星が「経済優先の生き方」から「愛に基づいた生き方」にシフトする
ことが可能になる日、それが明日太陽・月・星・地球が一直線に並ぶ日。

わたし的にたとえるなら、「モモ」の中のどろぼうが人間から奪った時間
を保管している「大きな金庫のカギのダイヤルが合い扉が開く日なのです」。

と話している私は「変なおばさん」とと思われかねない内容です。
でも話している私は「真剣」なのですが、「私が感じるお話」として
聞いてもらえるうようお願いして話を進めました。

その参加者は「虹の岬まつり」で案内され集まった人たちが多く
ヒッピーぽい人が大半で、一般の子連れのお母さんが3分の1
位でした。

そしてこの会場で何をするかを決めていた私は発表しました。

食事後皆さんが「自分自身の幸せのために100パーセントの
エネルギーを使えているかをチエックし、使えていなくても
それを使えるようにしますと・・・。」

そしてそれを「自立のための道具」として使えるように、
「お土産」にして「ノーハウ」を伝えますと言い終えると
広間の若者たちから大きな拍手がもらえました。

つまりどろぼうにとられていた時間(いのち)を一足先に
戻しましょう的なはなしです(笑)

再び食事が始まりそれを待つことにした私に一人の女性が近寄って来て、
「今のはシーターヒーリングですよね?」と問われた。

「そうです」と答えると「私はレインボウチルドレンコース」を教えている
I代ですと自己紹介された。

そうなると話は早く「それでは手伝って下さい」と申し入れると彼女と
パートナーのお二人に快く協力してもらえることとなった(ラッキー)。

全て揃っている!!
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by sunnyww-yo | 2012-05-21 06:58 | こころとからだ

生きることの面白さ

最近毎日夜中の2時を過ぎるころに目が覚め、
「自分史」を書くことが日課になっています。

まず昨夜の残り湯五右衛門風呂に火を入れ、水分を補給し
PCのスイッチを入れます。

最初ワードで書き始めましたが、どうしても表現が硬くなり、
ブログの方が気軽にかけることが分かりそうしています。

読んでくださっている方を意識したようなしないような書き方で
読んでくださる方には「自己中心的」な表現で読み辛いかもしれませんが
ごめんなさい。

なにしろ、「本」というものが私の人生に登場してくるのは40歳を
過ぎてからですから・・・どのように書いていって良いのか戸惑いながら
おぼつかない手さばきでキーボードを打っています。

もちろん絵本もコミックも写真集含めてです(自慢じゃない・汗)

じゃあなぜ私が本なのかと言いますと「自分の人生に起きていることの全て」が
何一つ「無駄なことがない!」と還暦を迎え解ったからです。

「えらそ~っ」と先輩諸氏の観客席からブーイングをいただきそうですが。
「分かったから解った」と興奮している自分がいるのです。

百歩譲って、聞いて下さるみなさんにそれをお伝えしようとPCにむかう
私は本州の東南端、宮崎県串間市市木という海あり川あり田んぼありの
自然豊か超高齢化を迎えている集落に住んでいます。

この地はニホンザルで有名な「幸島」があります。
ご存知の方もあると思いますが、この地には芋を洗って食べたサルの
話しがあります。

「100番目のサル」として世界の平和を愛する人たちに広く知られています。

そのことが四十路を過ぎ人生の生きなおしの舞台
私が選んだ大きな要因になっています。

ここで私から参考になる本を紹介するのも変ですが・・・

「百番目のサル」核戦争から人類を救う百番目のサルとは?

ケン・キース・ジュニアー著・Y・モンキー編

生命潮流  来るべきものの予感

100匹目のサル登場    ライアル・ワトソン著

なぜそれは 起こるのか

過去に共鳴する現在 シェルドレイクの仮設をめぐって  
ほおじろ 栄一著など面白い本がありますからどうぞ。

なぜこの土地を住みかに選んだのか当時の記憶をたどります。

私は37歳の頃、元気だけが取り柄の身体が何か変だと感じていました。
家のすぐ前のI医院で検診を受けてみました。

そして心臓の不整脈と血圧が少し高めという診断結果をいただきました。

その時日常生活を検証するのですが、とりたてて原因になるような
ことも思いつきませんでしたが、父も母も血圧は高いと知っていました。

これは遺伝的なものなんだろと思ってはみたものの
「あきらめの悪い」私は遺伝なら両親の生活をたどればいいかな~と
思いつきました。
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by sunnyww-yo | 2012-05-19 07:09 | こころとからだ