花宇宙 ひとつらなりの生命(いのち)


幸島百番目のサルによる自然生活だより。
by sunnyww-yo
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カテゴリ:こころとからだ( 139 )


時間の橋

このテーマでお話する前に朝風呂につかりマッキーに
プレゼントする歌が浮かんでこないかなと思っていると

なんと「母の御印の下に」という応援歌が・・・
湯船でいい気持ちで歌ったのですが、過去にも何回かありました。

いい歌だったのに・・・。
歌ってしまうと消えるように忘れてしまうのが特徴(笑)
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by sunnyww-yo | 2012-05-24 04:42 | こころとからだ

最優秀賞は変な女性(ひと)に

2012-05-23

お昼前から幸島の前の浜に、先日金冠日食を共にしてくれた
チルドレンが20名ほど集まってくれました。

金冠食から今日まで私に起きていることをシェアーさせて
いただけました。

それは,とあるゲーム優勝の副賞に
もうひとつの地球

もらったという報告です。

なに~?それ~?うっそぉ!!

あほらしい!!

そう思われても仕方がありませんが、私は宝くじで三億円当選したより
嬉しく、あまり多くの人には言わないように「にんまり」しています。

蛾の時代

そのゲームの始まりは結婚21年目の記念日あたりから始まりました。
友人夫婦とホテルで開かれるフランスから腕のいいシェフを招いての

お料理と美味しいワインをいただくために、駐車場からホテルの会場に
向かっているときでした。

月のとてもきれいな夜でした。
月明かりに誘われて飛んできたガのように、突然のひらめきです。

「あ~~私は結婚していた!」ことに気づきました!
もうこのあたりの話からついてこれない人が・・・(笑)

何を言っているの?今結婚記念日で食事会に・・・?
夫に申しわけない・・・と思いながら口数少なく歩きました。

誰にも悟られないように自分自身との会話が始まりました。
それでは今まで私はどうしていたの?そしてだれ?

この問いに即座に「旅行者」という答えが返ってきました。
わ~やばい!!私3人の子どもも生んでしまったのに・・・?

そして答えているのは「もう一人の自分」。
本気で自分の立場を考えている私がいました。

その日はとりあえず、自分をごまかし美味しいごちそうと
ワインを楽しみいただくことに集中しました。

その日から夜中の2時を過ぎるころから目覚め、いろいろと
過去の自分の過ごしてきた時間のことを思い出すのです。

まず24時間いつでも入いれる循環風呂にはいります。
このころは目も良く見えていたので、本を一冊持って入り
ゆっくり湯船につかりながら読んでいました。

そうすると、身体が温まるにつれてまるで言葉が発酵して来て
心地よいリズムで詩のように文章が生まれてくるのです。

あまりに面白いので、落書き帳に書きとめるのが日課となりました。
それまで物を書くなんてことのできなかった私はリズミカルに出てくる

言葉のおかげで、自分が今まで歩んできた人生を振り返り、
それがこれからの人生とどうつながるのかが鮮明に見えてきました。

それが終わるころには朝日が昇ってきます、その朝日に向かって
当時の愛犬と大淀川の堤防をゆっくり時間をかけて散歩します。

まだ家族を起こしたりお弁当の準備に入るには時間が早いので、
「存在の詩」を抱えて大淀川にかかる橘橋の下に行きます。

そこには近所の御老人やホームレスのような人が、
釣り糸を垂れているいる人の近くにゴザをひいて何するでもなく
たむろして時間を過ごしておられました。

そのうち私も仲間に加えてもらって、愛犬と私の場を空けて
もらえるようになりました(笑)

その時は分りませでしたが「モモ」の中にあった「時間の国」に
どうやら私は着いていたようでした。

そしてそれは天の虫と書く「蚕」がふ化し蛾になったような
イメージで私の「我」が生まれた時期でした。

それからです、世の中の経済中心の仕組みに気づいた私が、夫を
相手にその仕組みの説明をはじめるのです。

そしてその糸口として、毎日の生活の見直しにあることを提案するのですが、
何しろ子どもの小さかった頃からの話を引っ張り出し説明しようとする私の
話は、彼自身が責められているように感じるらしく解り会えませんでした。

またその当時の私には、私の身体の中で起こっていることを説明する
言葉を持ち合わせていませんでした(共通言語がない)

結婚後、新築の家に2度も住まわせてもらい、生活には何ひとつ
不自由なく暮らせていた私でしたが、私にも何がそうするのかが
良く解りませんでしたが、とにかくイライラするのです。

それを世間では更年期障害と呼んで、女性を貶める病気の診断を
するのですが、幸い趣味のバドミントンでストレス解消ができていたので、

さほど気になる症状ではありませんし、夫にぶつける元気がある私は
身体はいたって元気なのですが・・・心が晴れません!!。

結婚21年も過ぎ、子どもたちもそれぞれに進学し、
何の問題もないように過ぎてきた日々を蒸し返され、

何をどうしたいのかも具体的に話せない私の話しでしたから
聞く方も辛かったと思いますが、私も息苦しさで死にそうでした。

そんな時期に出会ったのが、前出の鳥山敏子さんや地球村の高木さんの
講演やワークショップでした。

そして「たましい?」の存在をしり、私の中で私に語るもう一人の
私に「魂」と言う呼称で再会することができ腑に落ちました。

それから「精神世界」というジャンルの書物や「波動」、「気功」
「宗教・哲学」、「教育学」、「神秘学」、「人間学」、「人智学」。

「絵本」に「童話」手当たりしだい気になる講演を聞き、本を読みました。

知りたい

という興味を満足させるべく、知識に飢えている私は

人生で初めて自分から書物を手にし人の話に耳を傾け

学ぶ喜びを知りました。

遅い!!ですよね・・・40歳を過ぎてました(汗)

しかしそれを書いた先人たちの智慧は、私の魂の飢えを満たしてくれ
私は人生で忘れかけていた「役割のようなもの」を思いだすことができたのです。

時を超えて先人たちと会うことができました、波動のすごさです!。

その時、「書物はすごい!!」と実感し「サルとはここが違う!!」
となんだか人間に生まれたことが嬉しく感じられました。

「本が読めて・・・?」バカみたい!!
本当にバカでした、これを関西ではアホと言いますが(笑・汗)

その時の人智学者シュタイナーの思想を受けて書かれた童話、
ミヒャエル・エンデの「モモ」が私の人生を変えてしまったのです。

たった一冊の童話がです。

なぜなら、そこには私が苦しみ、多くのお母さんたちが苦しんだ
原因や解決法のヒントが書かれていたからです。

良くTVや映画で古くから伝わる言い伝えや、昔の書物からヒントを得て、
宝探しの旅に出かける「冒険家の物語」スピルバーグの世界そのものですが。

一冊の童話を頼りに「冒険に出る決心」をしかかっている私は子どもの
父親と共に行きたかったのです、どうか解ってもらえないかと毎日

チャレンジしてみるのですがぜんぜん通じる様子がなく、仕事を終え
私の話しにつきあうことが苦しくなった彼は、夜の街に出て夜が更ける
まで戻ってこなくなりました。

私は四十路を過ぎ、三人の子持ちで、学のない普通の主婦ですから
このゲームの募集を感じた時から、私は枠外だと思う自分もいました。

そのゲームの募集要項は、いろんな書物の中に隠されていて、
それを見つけるのも楽しみでしたが、「説明できない人生ゲーム」に

はまってしまった自分を当時の友人にも説明することができず
本当に苦しい日々を送っていました。

その当時私の周りの人に相談しても帰ってくる言葉は想像できましたが
相談せずにはいられず、一人だけ口を滑らせたことがあります。

帰ってきた言葉は、「もう少し我慢したら、この家はあなたの天下になる」でした。
義理母と同居していた私を見て、友人には夫と同じように
今の環境を悔いているように聞こえたのでしょう。

「次元が違う!!」「観ている世界が違う!!」と言いたいところですが、
観えてない人に行っても始まらないので「そうねぇ~」と苦笑いです。

そんな時、今いる串間市市木の対岸の野生ザルの島、幸島にある
京都大学の研究所に絡む河合雅夫教授の講演会「人間とは」に
誘ってくれる友人Mさんがいました。

講演会当日、友人に頼まれてその会場設営などを手伝うことで主催者の
三戸サツエさんにお会いすることができました。

一部の小学校の教科書にも紹介された、サルの観察を続ける中で
「サルの芋洗い」を発見された白髪のきれいなあの三戸先生です。

その先生もこの4月97歳で天国に召されました(合掌)が
当時「幸島自然苑」という空間を持っておられました。

そのおかげで幸島の近くにある先生の事務所にたびたび遊びに
行くようになりました。

もともと市木集落へは年末になるとお歳暮用の「ポンカン」を
生産直買している家に何年か前から来ていましたので、海あり山ありの

市木で過ごす時間は、流れがている空気もちがい時間の心地良いこと。
癖になります(笑)

すっかり事務所でもお馴染さんにしていただき、当時のスタッフの方がたと
海に入ったり、温泉に入ったり、本当にのんびりした時間の中で癒され
本来の自分に戻って行くことができました。

そんな時間の中で現在の連れ合いのYさんにも出会っていました。

こむずかしそうな顔をした彼は私の苦手な秀才タイプだったので
直接話すことはあまりなかったのですが、0戦のプロペラを

利用したイルカ風車を造っている姿は少年のようでした。
そして彼がこの事務所に来るまでの道のべでとったという

草花の写真を見せてもらうのが何よりの楽しみでした。
その写真からは私が子どものころに見たいのちを感じる原風景がり、

匂いや風をも感じるような優しく愛情深い作品でしたので、
何回何時間見ていても飽きることはありませんでした。

彼に対しても自然と苦手意識が薄れ、撮影時の話しなどを聞き
楽しく時間を過ごすようになり、いつの間にか誰にも話せなかった
心のうちを話すとようになりました。

すると彼は他の人とは違って、私が話していることが分かるらしく
彼の愛蔵書の中から一冊の本を手渡してくれました。

バグワン・シュリラジニーシ・和尚 「存在の詩」でした。
分厚い本でしたが借りてかえり開くと吸いこまれるように、

バグワンの講話を映像で見ているかのように、
その場面に吸いこまれて感じている自分がいました。

当時の私は末の子どもの入試前に習った「波動による速読法」を
少し身につけていましたので、一気に読め楽しめてしまいました。

それから読んでも自分なりに体験を通さないと解らない私は、
新しい本借りて読むたび「読んでこう思ったので、こうしたら

こうなった」などなど、読書家のYさんがびっくりするくらい
の速度で魂を成長させてしまいました。

でも「精神世界は入ったら出てこれない世界だから」と真剣に
止めるように説得してくれる彼がいました。

当時、私は三人の子が世界を旅するようになった時、どの
国も平和で安全でないと親として心配でした。

せっかく激戦地から無事戻ってきて、いのちをつないでくれた
亡き父の悔しい思いを平和の世に受け継ぎ大切に使いたかったのです。

そしてその子どもたちが安心して生活が愉しめる環境を残したい。

合わせて病気になってからの手当法ではなく、死ぬまで元気に過ごせる
生活の知恵をお母さんたちに伝えて行きたいと思いました。

そこで、これからの人生の時間はこの課題に
いのちをかけようと思うようになっていました。

その思いを子どもの父親に話すのですが、なぜだか通じません。
彼は医学系の大学を出ていて「学生運動のデモ」の経験もあり

「今こそ子どもたちのために立ち上がろう!」と誘っても
一向に私の方を向いてくれませんでした。

「戦わないで、世界を平和にする」これがどうしたら可能かが
分るかもしれない大切な時間の旅です、同行者が欲しい私です。

話し始めて二年近く過ぎていましたが溝は深くなるばかりなので、
これ以上彼を苦しめることはやめ、一人でも「冒険の旅」に出る
決意をしました。

「銃後の母になるより、子供の盾に慣れる母」を目指して!!

その決意をした翌朝のことでした。

子どもたちを送りだしてひと段落して、彼を起こしに寝室に入ると
ベッドサイドに座って声を出して泣いている彼がいました。

22年の間で見たことのない彼の姿に「どうしたの?」と

驚く私が訪ねると、走馬灯を見せられたと・・・

なに?それ?

それって死ぬ時見ると言う「あのソウマトウのこと?」
そうかもしれないけど「二人の結婚してから今日まで22年間の・・・」

それも私の気持ちになって見せられたというのです。
「やった~旅の同行者ができた!!」と喜び「それで?」

と聞くと彼曰く

ここまで成長したら、おめでとうと言うしかない

そう言われてしまうと、がっかりしましたが「やっぱり」と
感じている自分がいました。

こんなことが起きてお互いに別居を納得せざるをえなくなりました。

改めて天に「なぜ私ですか?」と質問すると
現在社会で起きている問題の意味を理解し、解き方のヒントも

あなたは見つけたから・・・と返事されましたが、条件が
「非対立・共生」そして「楽しく」です。

自分以外のものに責任を押し付けるのではなく、
自分自身が変わることでまわりが変わる方法


それを見つけるのはた易いことではないと想像がつきます。

決心はしたものの40歳を過ぎた自分の全人生をかけるには
楽しそうですがリスクも多いような気がしました。

そしてもう一度天に「私はこの生活に定住したいですが、どうして
私なのですか?」としつこく聞きました。

すると天の声は あなたは元気だから・・・

これには返す言葉がなく、妙に納得して「この人生ゲーム」に
チャレンジすることにし冒険の旅に出ることにしました。

よくいわれる言葉に「こんなことなら死んだ方がまし・・・」
私も身体があって「説明できない生き方」をする寂しさを

いやと言うほど味わいながら、あふれる涙と言うのはこのことかと
身体中の水分が無くなりそうな程の涙を誰にも見られないよう
流しました。

しかしこの涙には、ふたつの意味がありました。

自分が閉じ込められていた世界からの解放された喜びと、
愛する家族との別れに対するせつなさから来るものでした。

でも私には「この愛する人たちも絶対解放するぞ~~!」という
硬い決意がありました。

という長~い説明でお分りいただけると幸いですが・・・

こんなゲームに20年前応募して、最優秀賞をいただいて
その副賞がなんと「星ひとつ」いただけたのです。

大きすぎて誰にも見せられないのが残念ですが・・・
料理店の☆からすると少ないのですが、ほんものの星です(^^V

こういうことを還暦を過ぎた私が言うのですから、ヘンな女性(ひと)。

でも私には真実なのです。

そこでその話を信じられ、その星の住人になる可能性のある
チルドレンが今日この幸島に集まってきたという訳です。

もともと近くのの神社に参拝予定だった彼らの集まていたところに、
偶然参加することになった私の遊びを共有してくれ、
その場にいた22名のチルドレンが輪になり歌い踊りました。

三児の母Yちゃんのこぼれるような笑顔でのあいさつ、マッキーの歌
「手と手のぬくもりが・・・何よりの真実」と歌いました。

そのあと私は「星をもらった女性(ひと)」の話しを語りました。
そのイメージを共有してもらうため大切に飾っていた「クリスタルの地球」
を中心に据えてみんなが輪になったまま聞いてくれました。

お天気も良くとてもきれいな空気が流れているのを感じられました。
生まれたままの姿で遊ぶ子どもたちの姿は平和そのものでした。

「人生ゲーム」スリル満点! 最高!
これまで私とご縁をいただいた全てのいのちに感謝しています。

そしてここまで楽しく無事私をゴールまで導いてくれ、
そしてこの旅の乗り物となってくれ、これからも私の

この世の時間の許す限りの大切な最強軍団六十兆の仲間である
  
か ら だ 

ひとまずありがとうございました。

これがゲームの終わりでこれからがわたしの仕事の始まりです。
育ててくださったこの国、この地球に恩返ししたいと思います。
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by sunnyww-yo | 2012-05-23 16:10 | こころとからだ

安全神話

私は原子力発電について、末っ子が中学三年生の時PTAの研修会で
鹿児島の川内原発を見学に行ったことがあります。

その当時の私は「原発」と言う言葉さえ知らなかったように思います。
そしてそれが「放射性物質を反応させてお湯を沸かし、タービンを
回しているなどと言うことは無知な私の知る由もないところでした。

鹿児島まで行くのに参加費がほとんどいらず、あちらこちら
見学させてもらいながら昼食用のお弁当がついてのバスツアー
だったので至れり着くせりだな~と思った記憶があります。

その見学で立派なPR館に展示されている模型の前で、
きれいなスーツ姿の女性の説明を聞きながら・・・

「・・・だから安全に造られています」と繰り返すその声とは裏腹に、
私の中に「この圧力鍋のようなものの中で何をしているのだろう?」

「何重にも保護しなくてはならない鍋の中身とは・・・?」

私の単純な頭はそんなにキケンなこと!

というふうに理解してしまったのです。
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by sunnyww-yo | 2012-05-23 10:41 | こころとからだ

早急に必要な処方箋

その避難民の特にお母さんが必要としている放射能から身を守る
対策方法を早急に発表し伝える必要があると感じています。


私は40歳を迎える頃から、身の回りに起こっていることを感じる
感じ方(視点)が他の人と少し違うことに気づきました。

世間では病気になれば病院に行きますが、私は寝て直します。
また世間では病気の原因を「病院の先生」に聞きますが、
私は自分で考えます。

そして何より身体に備わっている「自然治癒力」を大切にします。

だから病んでいる気「病気」を元に戻すよう注意をし「元気」になります。
たいていこのやり方で3人の子も育ててきました。

もちろんこの感覚を大切に家業の事務的な手伝いと
家族の食事や洗濯掃除と趣味をこなす主婦であり母親でした。

そのころの私は、自分の立場である専業主婦の座を大切な家族の
いのちを守る「いのちの管理人」であると位置づけていました。

「いのちの管理人」とはちょっとオーバーな・・・?
と言われるかもしれませんが、その呼び方をすることによって
家族の中で自分自身の存在の意味を表していたのかも知れません。

もちろん家族にこの表現を使って話したことはなく、
私だけが知っている「私の座」でした。

なぜそう呼びたかったのかを自分自身に問いただしたところ、
お金を稼でいる仕事を持つ人は存在が見えやすいのですが、

専業主婦の仕事はお金を生みだす仕事ではないので、目立ちません。
家族の中でもその存在は「当たり前のこと」として忘れられがちです。

そんな自分自身を励ます居場所のようなものだった気がします。

同居の義理の母にも可愛がってもらっていましたし、
大きな夫婦喧嘩と言うケンカもしたことがない「普通の家族」
の日常でした。

くる日も来る日も、掃除洗濯、三度の食事の準備・・・
別にその作業を嫌いでなかった私は「幸せ」でした。

嫁いだ宮崎市には誰も知人はおらず、自営業の従業員と親族や
義理母の友人などが生活する上で私が主に関わる人たちでした。

その従業員の中には、従業員に昼食を出していた関係上お手伝いの
Yさんがいてくださいました。

正直で明るい信頼できる方で子どもたちの面倒も良くみてくれ、
よく気がつきこまごまと動いてくださる近所のおばさんでした。

私は、昼食の準備や食事が終わると後は「自由時間」です。
お菓子を作ったりミシンをかけたりして楽しい時間を過ごしました。

同世代の人たちと出会ったのは、一人目の子が幼稚園に上がった時でした。
毎日園の送り迎えで出会うお母さんたちとだんだん親しくなり、
お誕生会など家の外での交流も始まりました。

そのお母さんや下二人の子どもを通じて知り合ったお母さんが
健やかな子どもの成長を願う仲間です。

それは1980年頃の話で、子どもたちが元気に過ごしてくれる日は、
母親にとっても天気の良い日のように気分が軽く心地良いものです。

その時代を懐かしく思い出させてくれる子どもたちはもう三十路になり
社会の一員として生きていますが、今現在子育て最中のお母さんたちは

そんな当たり前の生活が2011年3月11日のあの日から
「原発事故」による放射能によって奪われてしまったのです。

五月晴れの太陽の下で、子どもを遊ばせることや洗濯ものやお布団を
干すこともままならない情況に、お母さんの心労がつのって来て
いるのを感じます。
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by sunnyww-yo | 2012-05-23 05:31 | こころとからだ

2012年5月23日(旧歴4月3日)

昨日の朝起きた天体ショウ「金冠日食」を雨降りのため
私は「見ません」でしたが、感じる目で「観て」いました。

ところがその雨の中で「金冠日食」を実際の目で見た人たちがいます。
それは20日の夜市木舳(へた)の公民館に集まって来て、

私の話を信じヒーリングを受けてくれた、
「100パーセント自分自身の幸せのためのエネルギーを

取り戻すことができた」インディゴチルドレンあるいは
クリスタルチルドレンと呼ばれる人たちだと思います。

これらのチルドレンについては後でお話するとして、まずは今ここで
「起こっていること」をお話したいと思います。

そのYちゃんに率いられ公民館に集まってきた大人たちは現在の社会の
あり方に早くから居心地の悪さを感じ、「自分の心地よい空間」を見つけ
生きてきた人たちです。

しかし現在社会の都会の中には彼らを喜んで受け入れてくれる環境はなく、
また彼らもそれを好まず、旅から旅を繰り返し人生の大半を過ごしています。

そのため彼らは定住を嫌い世界中を旅することができる「フットワークの軽い」
素敵な人たちで「ヒッピー」と呼ばれています。

そして彼らはバックパック一つで旅ができるので、生きるのに必要でない荷物に
あまりお金をかけない生き方がとても上手なフレンドリーな人たちです。

今回も22年間続き今年で最後になったらしい「虹の岬まつり」の会場で
市木から参加したYちゃんたちの呼びかけで感応し来た人たちが大半です。

もちろん彼らにも家族があり、会場を所せましと走りまわる元気な子どもをもつ
親でもあります。

「そんな生き方」があることすら知らず、現在社会で「普通に生きてきた」
普通のお母さんと子どもたちが何組か混ざっています。

それは2011年3月11日この国で起きた

地震・津波・原発事故による避難民なのです。

目に見えず、匂いも色もない「福島原発震災の放射能のキケン」を感知し
小さな子どもたちを抱えて避難してきた人たちです。
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by sunnyww-yo | 2012-05-23 04:16 | こころとからだ

前後しますが、ありがと菜

今年の3月11日大分での集い以来の知り合いになった
Rちゃん、Sちゃんのお声かけで、Yさんと19日の14時過ぎから

「ありがと菜」の会場である、宮崎県北部の延岡市北方から近い
「宇目の道の駅」に来ていました。

「天女人(てんまど)まつり」で二人にゲストで参加してといわれたからです。
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by sunnyww-yo | 2012-05-21 09:01 | こころとからだ

キンカン日食

2003年5月21日 お天気 雨 新月 風強し。

「金冠日食を市木で見よう」の呼びかけに若ものが集まって来ています。
その数、子供も入れてヘタの公民館いっぱいです(5~60人)。

昨夜の9時から「市木のグランマK子さんの話し」と言う
時間がとってありましたので、大分の宇目を16時に出て20時頃戻り、

Rちゃん家族とM君の運転で会場のヘタ公民館に向かいました。
車に乗り込み5分ほどの会場に着くまで、大ぶりの雨にみそがれます。

築島前の国道から少し山側にある公民館なので、国道に車を止め
傘をさして坂を上がりました。

公民館の入口に脱いである靴が大小半端ない数です。
ドアを開けると公民館の広間を走りまわる子どもたちの歓声で
押し返されるような状態です。

とりあえず呼びかけてくれたYちゃんを探し到着を告げ、
落ち着ける場所を探して広間に入ったら、「わ~K子さん」

といってハグをしに来てくれた数人の子どもたち(大人)と挨拶。
九時から私の話しを聞いてくれる予定まで30分程ありました。

ハグをした子が抱いていたE君を受け取りしばらく抱っこをし
ウロウロしたので会場の雰囲気に慣れてきました。

みんなは夕飯がまだのようで、用意されたテーブルに美味しそうな
食べ物が並べてありましたが私はYさんと済ませて来たので、

テーブルから少し離れた場所に腰をおろし、膝に来てくれたRちゃんと
みんなのようすを見ながら待っていました。

走りまわっていた子らも食事が始まると少し静かになりました。
大人も食べ始め口に食べ物が入ったので、公民館の中は平常になりました。

時間も丁度よかったので、食事しながら聞いてもらうことにし話し始めました。
そしてこの日本という国「日本丸」の状況と宇宙における地球の「この場」と
明日の(21日)金冠日食で何が起きるかを話し始めました。

呼びかけのフライヤーには「母の時代」とうたってありましたが、
話の展開がみんなの予想外だったようで面白かったのか、
食事の手を止めて私を注目してくれるようになりました。

私たちは仕組まれた経済優先の社会で「日本丸の漕ぎ手」として「時間」を
「お金=エネルギー」としてとられてしまった日常の中にいることを伝えました。

その「常識」という檻の中にいる家畜化した現代人の生活。
その中で息苦しくなり「麻薬」や「お酒」「パチンコ」などで
さらに金銭的にも追い込まれる生活の悪循環。

やがてそのストレスから身体を壊し医療産業という餌食になり、
生血を吸われるような闘病生活の始まり。

そしてその仕組みが昨年の「3月11日の原発震災」で壊れ、
その檻からにげきてた子どもたちが今ここに「朝日の子」として
集まって来ているのだと話しました。

そして明日「失われた時間」が解放されようとしているのだと話しました。

この星が「経済優先の生き方」から「愛に基づいた生き方」にシフトする
ことが可能になる日、それが明日太陽・月・星・地球が一直線に並ぶ日。

わたし的にたとえるなら、「モモ」の中のどろぼうが人間から奪った時間
を保管している「大きな金庫のカギのダイヤルが合い扉が開く日なのです」。

と話している私は「変なおばさん」とと思われかねない内容です。
でも話している私は「真剣」なのですが、「私が感じるお話」として
聞いてもらえるうようお願いして話を進めました。

その参加者は「虹の岬まつり」で案内され集まった人たちが多く
ヒッピーぽい人が大半で、一般の子連れのお母さんが3分の1
位でした。

そしてこの会場で何をするかを決めていた私は発表しました。

食事後皆さんが「自分自身の幸せのために100パーセントの
エネルギーを使えているかをチエックし、使えていなくても
それを使えるようにしますと・・・。」

そしてそれを「自立のための道具」として使えるように、
「お土産」にして「ノーハウ」を伝えますと言い終えると
広間の若者たちから大きな拍手がもらえました。

つまりどろぼうにとられていた時間(いのち)を一足先に
戻しましょう的なはなしです(笑)

再び食事が始まりそれを待つことにした私に一人の女性が近寄って来て、
「今のはシーターヒーリングですよね?」と問われた。

「そうです」と答えると「私はレインボウチルドレンコース」を教えている
I代ですと自己紹介された。

そうなると話は早く「それでは手伝って下さい」と申し入れると彼女と
パートナーのお二人に快く協力してもらえることとなった(ラッキー)。

全て揃っている!!
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by sunnyww-yo | 2012-05-21 06:58 | こころとからだ

生きることの面白さ

最近毎日夜中の2時を過ぎるころに目が覚め、
「自分史」を書くことが日課になっています。

まず昨夜の残り湯五右衛門風呂に火を入れ、水分を補給し
PCのスイッチを入れます。

最初ワードで書き始めましたが、どうしても表現が硬くなり、
ブログの方が気軽にかけることが分かりそうしています。

読んでくださっている方を意識したようなしないような書き方で
読んでくださる方には「自己中心的」な表現で読み辛いかもしれませんが
ごめんなさい。

なにしろ、「本」というものが私の人生に登場してくるのは40歳を
過ぎてからですから・・・どのように書いていって良いのか戸惑いながら
おぼつかない手さばきでキーボードを打っています。

もちろん絵本もコミックも写真集含めてです(自慢じゃない・汗)

じゃあなぜ私が本なのかと言いますと「自分の人生に起きていることの全て」が
何一つ「無駄なことがない!」と還暦を迎え解ったからです。

「えらそ~っ」と先輩諸氏の観客席からブーイングをいただきそうですが。
「分かったから解った」と興奮している自分がいるのです。

百歩譲って、聞いて下さるみなさんにそれをお伝えしようとPCにむかう
私は本州の東南端、宮崎県串間市市木という海あり川あり田んぼありの
自然豊か超高齢化を迎えている集落に住んでいます。

この地はニホンザルで有名な「幸島」があります。
ご存知の方もあると思いますが、この地には芋を洗って食べたサルの
話しがあります。

「100番目のサル」として世界の平和を愛する人たちに広く知られています。

そのことが四十路を過ぎ人生の生きなおしの舞台
私が選んだ大きな要因になっています。

ここで私から参考になる本を紹介するのも変ですが・・・

「百番目のサル」核戦争から人類を救う百番目のサルとは?

ケン・キース・ジュニアー著・Y・モンキー編

生命潮流  来るべきものの予感

100匹目のサル登場    ライアル・ワトソン著

なぜそれは 起こるのか

過去に共鳴する現在 シェルドレイクの仮設をめぐって  
ほおじろ 栄一著など面白い本がありますからどうぞ。

なぜこの土地を住みかに選んだのか当時の記憶をたどります。

私は37歳の頃、元気だけが取り柄の身体が何か変だと感じていました。
家のすぐ前のI医院で検診を受けてみました。

そして心臓の不整脈と血圧が少し高めという診断結果をいただきました。

その時日常生活を検証するのですが、とりたてて原因になるような
ことも思いつきませんでしたが、父も母も血圧は高いと知っていました。

これは遺伝的なものなんだろと思ってはみたものの
「あきらめの悪い」私は遺伝なら両親の生活をたどればいいかな~と
思いつきました。
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by sunnyww-yo | 2012-05-19 07:09 | こころとからだ

気づく

座右の書 

「モモ」を読み始め「面白い!!」と思い一気に読んでしまいました。

何しろモモが戦う相手の「時間どろぼう?」の存在に私がその本の中に
吸いこんでしまわれたような感覚で一気読みになってしまったのです。

みなさんから見ると四十路の女が、たかだか童話の一冊を一気に
読み終えたからってどうってことはない・・・。

そうなんです!が
私にとってこれは重大なことだったのです。

何しろその時自分の読書歴を振り返ってみると、小・中・高校の教科書以外で
記憶に残る本の題名と言えば、なぜかあの有名なトルストイおじさんの書かれた
「戦争と平和」とレなんとかさんの「赤と黒」のみなのです。

確か高校生の時だったと思いますが、夏休み前に先生にでも「読書」を
勧められたのでしょう。

再三申し上げている通り、生まれてこのかた、かわいくいわせてもらえば
「子鹿のような」子ども時代を送っていた私は、学校から帰りカバンを置くなり
友達のYちゃんの家にでかけるのが常でした。(チビまる子ちゃんとダブル・汗)

雨の日も風の日も仲良く元気に遊ぶ私たちでしたが、毎月決まって
いつのころからか「りぼんやなかよし」というコミックの発売日になると、

遊びに誘っても「無心に読書にはげむ友」はそれを読み終えるまで
いくら声かけて待っても相手をしてくれないようになりました。

友達が遊び相手をしてくれるようになるまで、
子鹿の私は一人で集落の上流にある大好きな場所、御不動さんが祭ってある
「独っこの滝」を目指して走って行く習慣(週間)になっていました。

今から思うと子どもの私が一人で遊びに行く場所とは思えないぐらい
滝のある場所はうっそうとしていて大の大人でも寂しい場所です。

しかし私がそこをなぜ遊び場の一つにしていたかが分かったのは、
44歳にして母の期待を大きく裏切り「離婚」などと言う親不孝を
決行したおかげでした(笑)

嫁いでいた頃と違って時間がたっぷりある私は、今の私が「存在する要素」
になる子どもの頃のことなどを母から直接聞ける良い機会になりました。

その母によると、戦後生活が貧しかった両親は「この滝」を通って、
まだその上にある山の上で炭焼きをしていたようでした。

そこへ行くのに母は兄の手をひき私を背におぶって通ったそうで、
炭焼き小屋の周りで遊んだ私たちの(黒くなった(*^_^*)を

集落の人に見られるのが嫌で、滝つぼの水できれいに洗ってくれ
着替えもさせて連れて帰ったそうです。

車のないあの時代に、家から歩いて滝まで行き、そこから見上げたら
登るのを躊躇するような急な階段を上がってそのまだ上にある山まで。

身長が150㎝もない母が毎日私をおぶって登ってくれたと思うと
信じられない「母の愛と強さ」を改めて感じます(拝礼)。

親不孝な私に当時の記憶はないのですが、
そんな母の愛情のおかげで、滝が心地の良い場所として
能にインップトされていたようです。

ということで「野山をかけ回る子鹿」の誕生秘話を紹介させてもらいましたが、
その私がなんで「戦争と平和」と「赤と黒」だったのかを考えてみた時、

小学校5・6年の受け持ちだったT先生が「世界で起きている問題を解決するのに
戦争では何も解決できない!」と言われたことが子ども心に残っていたのと、
多分タイミング良く兄が読んでいたその本が私の目にとまったのだと思います。

今思いだしてもそこに何が書いてあったか全然覚えていませんが・・・(汗)
とりあえず当時から「モモ」に出会うまでの「座右の書」がこの二冊です。
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by sunnyww-yo | 2012-05-19 05:47 | こころとからだ

受け継いだタスキ

人生のタスキって何だろう・・・?
わたしが思うに、もちろん自分自身の身体に流れる祖先の尊い血。

その血を受け継いでくれる子どもたちを授かり育てること。
その子どもたちの未来の環境を健やかなものとして残す責任など

目に見えるものと、見えないものを同時に感じ身体を通してつなぎ
残していく生き方つまり文化のようなもの。

それは私が40歳を迎え、末っ子が中学を卒業するようになったころから
感じるようになった不思議な感覚でした。

それまで友人知人もいない見ず知らずの宮崎に嫁いできて、
3人の子どもたちのPTAや出産で落ちた体力回復のために始めた
バドミントンを通じ、多くのお母さんたちや仲間と知り合い楽しい生活を
送っていたころでした。

街を歩けば何人かの知人と出会い宮崎弁で立ち話をするようになるなど、
当時姑と買い物に出た時など「あなたはすごいわね~、こんなにお多くの

お友達ができたなんて!」と感心され、
「私なんか家の中ばかりの仕事だから何年住んでいても・・・」

と自分の人生を振り返りながら、私のことを
出来の良い嫁でありまた娘として嬉しそうに見てくれているのを感じました。

この義理の母とのことはまた後で書くとして・・・。

そんな私が末っ子の中学校の卒業式で学年委員長として保護者代表の
謝辞を述べさせてもらうことになりその原稿を準備しながら、

中学卒業当時の自分を振り返り、あの野山を走りまわること以外
能のなかった私が、子どもたちのおかげでここまで成長でき、
自分がこの場(ステージ)に立てることが「すごい!」と感じられました。

こうして自分の成長を実感しながら卒業式につぎ謝恩会も無事終わり、
役員もこれで解散と言うとき、思わず口から自然にでてきた言葉が
「さぁ~これで好きなことをしょう!」でした。

周りのお母さんたちが一瞬かたまり「今までは?」と聞き返されましたが、
「今までは子どものために親としての務めの時間でしょう・・・」

「親としての義務を終えたのだから・・・」と応えながら、
自分でもなんでこの言葉が出てきたのかは深く考えませんでした。

しかし子育ては三人三様と言うけれど、M大付属の幼・小・中学校、
公立の保育園・小・中・高校、二番目の娘のおかげで養護学校など
「健やかな子どもの成長」を願う親としていろいろな教育の場を
のぞかせてもらうことができました。

また子どもの父親は大阪の真ん中で育ち、子どもの時から温厚で
勉強好きの努力家だったようで、周りからの信頼も厚くこれまで
大した問題もなく生きてこれたようで私や子どもたちも尊敬できる人でした。

おかげで子どもたちは学業を除いてはほぼ問題なく成長してくれました(笑)。

それに比べ子供たちに一番関わり「お母さん」という立場で威張っている
私は、先にも述べたように大きい声では言えませんが唯一自慢できるものは
体力で稼ぐ「体育」のみでした(汗)。

その私が末っ子の義務教育が終わる晴れ舞台で「保護者代表謝辞」などという
大役を終えた自分をほめてやりたいと感じたのも分っていただけると思います。

当時夫の職業柄、私をPTAの役員に選んで下さったお母さんたちは、
私が人のお世話ができる出来る人(優秀)に思えたのでしょうが、

本当は役員をさせていただいたおかげで「少し出来る人」になれたのだと
私をひきたてて下さった仲間のお母さんたちにも「ありがたい」と
感謝できるようになっていました。

あまり信仰心も持ち合わせていない私でしたが、
神様がいるとしたら、私の神さまは「三人の子どもたちだ!」
と強く思うようになりました。

この子育ての時間、つまり三人が義務教育を終える(のべ約50年)こそが、
私が成長し「生涯豊かな人生」を送るための土台を造る宝の時間だったと
思っています。

そんな時間をくれた子どもたちや家族に「ありがたいなぁ~」
と感謝の念で、家族の好物を食卓に並べたような気がしますが・・・。


不思議な女の子「モモ」に出会う

新学期になり末っ子も高校に入学し、PTAの役からも卒業しのんびり
過ごしているある日、友人の家でお茶しながら楽しんでいるときでした。

何気なく本箱を見ていると「モモ」と書かれたオレンジの表紙の本が
目にとまりました。

子どもの頃から本のある環境で育っていなかったので、初めて見る
タイトルの児童書でした。

またここで、自慢できない自慢話しですが・・・
私は三人の子育て中に「読み聞かせ」をして寝たことがないと言う
世にも信じられない出来の悪い母親だったことを懺悔します(汗)

そんな訳で読書に慣れていない私ですが、なんだか気になり
手に取りページを開いてみました。

そこには、愛蔵書 モモ  ミヒャエル・エンデ

「時間どろぼうと ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子の不思議な物語」
とあり、思わず面白そう・・・と目次を読みました。

童話なので、字も大きくついつい中に入っていく感じで借りて読むことにしました。
その時この本との出会いが私の人生を大きく変えることになるなんて
思ってもいませんでした。

読み進めるうち、この本の中に込められているメッセージがずんずん身体に入ってきました。
これは童話だけど・・・子どものための本ではなく私にメッセージされていると感じました。

なぜならその頃長男が一浪して大学には入学したのですが、ぜんぜん輝いていない気がして、
「どうして若者なのに成長に伴った輝きが出てこないのだろう?」という
疑問を持っているときでした。

この「疑問」はPTAの役員活動で知った学校現場での「子どもの不登校や非行問題」
でも気づいていましたが、なぜそうなるのかは見当もつきませんでした。

役員当時、「子供の問題はお母さんの問題ですから・・・」といわれ悩んでいる
真面目なお母さんにかけてあげられた言葉は「今はあなたのことだけど、
明日は我が身だと思うので、一緒に頑張ろう!」という実体のない言葉だけでした。

このように一緒に役員活動をして家庭や人柄も良く知り、絶対私より勤勉で真面目な
人だと信頼できるこのお母さんのどこに問題があるのかが解りませんでした。

苦しそうな仲間を救う手段のない自分が情けなくもあり、またいつ自分の身
にふりかかるか解らない不安も同時に感じていました。

解決策など考えもせず、それをごまかすかのように、
時間があれば友人と食事会やバドミントンに出かけ
楽しんでいた私でしたが心は少しも落ち着きませんでした。

夫に対してもイライラして、この落ち着かない自分ってなんなの?
日常生活で満たされてるはずの自分の立場がどうして満足できないのか?

そんな自分自身と向き合う必要を感じ始めていました。

そこで子どもたちを送りだす社会(未来)の環境問題などに興味を持つようになり、
友人に誘われ講演会を企画したりして学んでいるうち、少し問題点がみえてきました。

「経済優先の社会」ここにすべてが向かっていることがなんだか大きな問題を
生みだしているということに気づいたのですが、何しろ問題が大きすぎます。

またまたお恥ずかしい話しですが、丹波の田舎でのほほ~んと育った私は
それまで社会に問題があるなど考えたこともなく、学生運動も知りませんでした。

なにしろTVもない時代で書物による勉強をしなかった私は、社会のリーダーと
呼ばれる人たちに対し兄をはじめ先生の話を良く聞き、文句も言わず教科書に
書いてある問題を理解し良い成績をとり大学まで出た人たちのすることなのですから、
「うたがうなんてとんでもない!」私の辞書にはありませんでした。

問題の原因は個人から発生しそれは「家庭」にあるのだろうと思っていました。

しかし自分が置かれている生活の場を検証してみても「世間の常識範囲内」にあり
なにも「問題の種」があるようには感じませんでした。

そこで当時関わっていた「地球村」代表の高木さんの主催される大阪での宿泊
研修を受けることにしました。

すると社会の経済の仕組み特に現在の「貨幣経済のゆがみ」がみえてきました。
そして「お金」と引き換えに現在人の失っていくものが本当は一番大切なものなんだと
思えましたが解決法としては「非対立」「共生」を提案されるのでした。

それは人を変えるのではなく、自分自身の生活の見直しであり
「本当の豊かさ」とは何かを問われていると思えました。

また今から思うとタイミング良く「賢治の学校」主催者の鳥山さんの
講演会や映画(賢治はほほ~と・・・)ワークショップなど、友人に
誘われ企画から開催までを手伝っていました。

その時も読書をしていない私にとって「宮沢賢治の世界」を
何一つ知らないのでした(笑うしかない汗)

今は亡き宮沢賢治さんの世界を通して鳥山さんが
参加者に何を伝えたいのか?何も解らないまま半ば強引に
手伝わされることになった私は事前に一本のビデオを手渡されていました。

それはニュース23での筑紫哲也さんが鳥山さんにインタビューされる様子と
鳥山さんが問題解決のために全国各地でされている「ワークショップ」のもようでした。

初めて見た私は、不登校やDVなど問題解決のためとはいえ、
見ていてあまり気持ちの良い印象を受けませんでした。

そこで宮崎での「ワークショップ」当日も会場の準備や受け付けはするけど
参加しませんと事前に仲間のスタッフには伝えていました。

そこで同じ部屋にいて参加しませんと言っている自分の居場所がなく、
車座になって参加しているスタッフの背中にもたれ壁の方を向いて
時間を過ごすことにしました(今から思うと非常識な行動でした 笑)

ところがです、このリラックス具合が良かったのか悪かったのか・・・
見えてない車座の中の参加者に対し、鳥山さんが行事のように
参加者の表面的でない何かに話しかけているように感じるのです。

え~~この人は何をしているんだろう?と思いながら振り返ることもせず
目を閉じて聞いていると、知らないはずの参加者の心情がイメージとして
浮かんできたのです。

「ちょっと待って!」鳥山さんは何に向かって話し参加者の何に
対応をしようとされているのかしら?と思いました。

すると「たましい」・・・
「?」そう感じている自分がいました。

大変です!!
私は勉強していないから、「たましい」のことは何も知りません。

しかし今現実に私はその存在を感じているのですから・・・
のちにこのような世界を「精神世界」と言うのだと知りました。
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by sunnyww-yo | 2012-05-17 09:30 | こころとからだ