花宇宙 ひとつらなりの生命(いのち)


幸島百番目のサルによる自然生活だより。
by sunnyww-yo
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
リンク集
ブログで囲もう 浜岡原発
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
♪かづら素材や製品・貝殻作品など製作即売してます。テルミー温熱刺激療法もやってま~す。電話、メールなどにて予約受け付けています.
[虹の天女プロジェクト]発信中・どうぞよろしく!
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧

2012年 05月 23日 ( 4 )


最優秀賞は変な女性(ひと)に

2012-05-23

お昼前から幸島の前の浜に、先日金冠日食を共にしてくれた
チルドレンが20名ほど集まってくれました。

金冠食から今日まで私に起きていることをシェアーさせて
いただけました。

それは,とあるゲーム優勝の副賞に
もうひとつの地球

もらったという報告です。

なに~?それ~?うっそぉ!!

あほらしい!!

そう思われても仕方がありませんが、私は宝くじで三億円当選したより
嬉しく、あまり多くの人には言わないように「にんまり」しています。

蛾の時代

そのゲームの始まりは結婚21年目の記念日あたりから始まりました。
友人夫婦とホテルで開かれるフランスから腕のいいシェフを招いての

お料理と美味しいワインをいただくために、駐車場からホテルの会場に
向かっているときでした。

月のとてもきれいな夜でした。
月明かりに誘われて飛んできたガのように、突然のひらめきです。

「あ~~私は結婚していた!」ことに気づきました!
もうこのあたりの話からついてこれない人が・・・(笑)

何を言っているの?今結婚記念日で食事会に・・・?
夫に申しわけない・・・と思いながら口数少なく歩きました。

誰にも悟られないように自分自身との会話が始まりました。
それでは今まで私はどうしていたの?そしてだれ?

この問いに即座に「旅行者」という答えが返ってきました。
わ~やばい!!私3人の子どもも生んでしまったのに・・・?

そして答えているのは「もう一人の自分」。
本気で自分の立場を考えている私がいました。

その日はとりあえず、自分をごまかし美味しいごちそうと
ワインを楽しみいただくことに集中しました。

その日から夜中の2時を過ぎるころから目覚め、いろいろと
過去の自分の過ごしてきた時間のことを思い出すのです。

まず24時間いつでも入いれる循環風呂にはいります。
このころは目も良く見えていたので、本を一冊持って入り
ゆっくり湯船につかりながら読んでいました。

そうすると、身体が温まるにつれてまるで言葉が発酵して来て
心地よいリズムで詩のように文章が生まれてくるのです。

あまりに面白いので、落書き帳に書きとめるのが日課となりました。
それまで物を書くなんてことのできなかった私はリズミカルに出てくる

言葉のおかげで、自分が今まで歩んできた人生を振り返り、
それがこれからの人生とどうつながるのかが鮮明に見えてきました。

それが終わるころには朝日が昇ってきます、その朝日に向かって
当時の愛犬と大淀川の堤防をゆっくり時間をかけて散歩します。

まだ家族を起こしたりお弁当の準備に入るには時間が早いので、
「存在の詩」を抱えて大淀川にかかる橘橋の下に行きます。

そこには近所の御老人やホームレスのような人が、
釣り糸を垂れているいる人の近くにゴザをひいて何するでもなく
たむろして時間を過ごしておられました。

そのうち私も仲間に加えてもらって、愛犬と私の場を空けて
もらえるようになりました(笑)

その時は分りませでしたが「モモ」の中にあった「時間の国」に
どうやら私は着いていたようでした。

そしてそれは天の虫と書く「蚕」がふ化し蛾になったような
イメージで私の「我」が生まれた時期でした。

それからです、世の中の経済中心の仕組みに気づいた私が、夫を
相手にその仕組みの説明をはじめるのです。

そしてその糸口として、毎日の生活の見直しにあることを提案するのですが、
何しろ子どもの小さかった頃からの話を引っ張り出し説明しようとする私の
話は、彼自身が責められているように感じるらしく解り会えませんでした。

またその当時の私には、私の身体の中で起こっていることを説明する
言葉を持ち合わせていませんでした(共通言語がない)

結婚後、新築の家に2度も住まわせてもらい、生活には何ひとつ
不自由なく暮らせていた私でしたが、私にも何がそうするのかが
良く解りませんでしたが、とにかくイライラするのです。

それを世間では更年期障害と呼んで、女性を貶める病気の診断を
するのですが、幸い趣味のバドミントンでストレス解消ができていたので、

さほど気になる症状ではありませんし、夫にぶつける元気がある私は
身体はいたって元気なのですが・・・心が晴れません!!。

結婚21年も過ぎ、子どもたちもそれぞれに進学し、
何の問題もないように過ぎてきた日々を蒸し返され、

何をどうしたいのかも具体的に話せない私の話しでしたから
聞く方も辛かったと思いますが、私も息苦しさで死にそうでした。

そんな時期に出会ったのが、前出の鳥山敏子さんや地球村の高木さんの
講演やワークショップでした。

そして「たましい?」の存在をしり、私の中で私に語るもう一人の
私に「魂」と言う呼称で再会することができ腑に落ちました。

それから「精神世界」というジャンルの書物や「波動」、「気功」
「宗教・哲学」、「教育学」、「神秘学」、「人間学」、「人智学」。

「絵本」に「童話」手当たりしだい気になる講演を聞き、本を読みました。

知りたい

という興味を満足させるべく、知識に飢えている私は

人生で初めて自分から書物を手にし人の話に耳を傾け

学ぶ喜びを知りました。

遅い!!ですよね・・・40歳を過ぎてました(汗)

しかしそれを書いた先人たちの智慧は、私の魂の飢えを満たしてくれ
私は人生で忘れかけていた「役割のようなもの」を思いだすことができたのです。

時を超えて先人たちと会うことができました、波動のすごさです!。

その時、「書物はすごい!!」と実感し「サルとはここが違う!!」
となんだか人間に生まれたことが嬉しく感じられました。

「本が読めて・・・?」バカみたい!!
本当にバカでした、これを関西ではアホと言いますが(笑・汗)

その時の人智学者シュタイナーの思想を受けて書かれた童話、
ミヒャエル・エンデの「モモ」が私の人生を変えてしまったのです。

たった一冊の童話がです。

なぜなら、そこには私が苦しみ、多くのお母さんたちが苦しんだ
原因や解決法のヒントが書かれていたからです。

良くTVや映画で古くから伝わる言い伝えや、昔の書物からヒントを得て、
宝探しの旅に出かける「冒険家の物語」スピルバーグの世界そのものですが。

一冊の童話を頼りに「冒険に出る決心」をしかかっている私は子どもの
父親と共に行きたかったのです、どうか解ってもらえないかと毎日

チャレンジしてみるのですがぜんぜん通じる様子がなく、仕事を終え
私の話しにつきあうことが苦しくなった彼は、夜の街に出て夜が更ける
まで戻ってこなくなりました。

私は四十路を過ぎ、三人の子持ちで、学のない普通の主婦ですから
このゲームの募集を感じた時から、私は枠外だと思う自分もいました。

そのゲームの募集要項は、いろんな書物の中に隠されていて、
それを見つけるのも楽しみでしたが、「説明できない人生ゲーム」に

はまってしまった自分を当時の友人にも説明することができず
本当に苦しい日々を送っていました。

その当時私の周りの人に相談しても帰ってくる言葉は想像できましたが
相談せずにはいられず、一人だけ口を滑らせたことがあります。

帰ってきた言葉は、「もう少し我慢したら、この家はあなたの天下になる」でした。
義理母と同居していた私を見て、友人には夫と同じように
今の環境を悔いているように聞こえたのでしょう。

「次元が違う!!」「観ている世界が違う!!」と言いたいところですが、
観えてない人に行っても始まらないので「そうねぇ~」と苦笑いです。

そんな時、今いる串間市市木の対岸の野生ザルの島、幸島にある
京都大学の研究所に絡む河合雅夫教授の講演会「人間とは」に
誘ってくれる友人Mさんがいました。

講演会当日、友人に頼まれてその会場設営などを手伝うことで主催者の
三戸サツエさんにお会いすることができました。

一部の小学校の教科書にも紹介された、サルの観察を続ける中で
「サルの芋洗い」を発見された白髪のきれいなあの三戸先生です。

その先生もこの4月97歳で天国に召されました(合掌)が
当時「幸島自然苑」という空間を持っておられました。

そのおかげで幸島の近くにある先生の事務所にたびたび遊びに
行くようになりました。

もともと市木集落へは年末になるとお歳暮用の「ポンカン」を
生産直買している家に何年か前から来ていましたので、海あり山ありの

市木で過ごす時間は、流れがている空気もちがい時間の心地良いこと。
癖になります(笑)

すっかり事務所でもお馴染さんにしていただき、当時のスタッフの方がたと
海に入ったり、温泉に入ったり、本当にのんびりした時間の中で癒され
本来の自分に戻って行くことができました。

そんな時間の中で現在の連れ合いのYさんにも出会っていました。

こむずかしそうな顔をした彼は私の苦手な秀才タイプだったので
直接話すことはあまりなかったのですが、0戦のプロペラを

利用したイルカ風車を造っている姿は少年のようでした。
そして彼がこの事務所に来るまでの道のべでとったという

草花の写真を見せてもらうのが何よりの楽しみでした。
その写真からは私が子どものころに見たいのちを感じる原風景がり、

匂いや風をも感じるような優しく愛情深い作品でしたので、
何回何時間見ていても飽きることはありませんでした。

彼に対しても自然と苦手意識が薄れ、撮影時の話しなどを聞き
楽しく時間を過ごすようになり、いつの間にか誰にも話せなかった
心のうちを話すとようになりました。

すると彼は他の人とは違って、私が話していることが分かるらしく
彼の愛蔵書の中から一冊の本を手渡してくれました。

バグワン・シュリラジニーシ・和尚 「存在の詩」でした。
分厚い本でしたが借りてかえり開くと吸いこまれるように、

バグワンの講話を映像で見ているかのように、
その場面に吸いこまれて感じている自分がいました。

当時の私は末の子どもの入試前に習った「波動による速読法」を
少し身につけていましたので、一気に読め楽しめてしまいました。

それから読んでも自分なりに体験を通さないと解らない私は、
新しい本借りて読むたび「読んでこう思ったので、こうしたら

こうなった」などなど、読書家のYさんがびっくりするくらい
の速度で魂を成長させてしまいました。

でも「精神世界は入ったら出てこれない世界だから」と真剣に
止めるように説得してくれる彼がいました。

当時、私は三人の子が世界を旅するようになった時、どの
国も平和で安全でないと親として心配でした。

せっかく激戦地から無事戻ってきて、いのちをつないでくれた
亡き父の悔しい思いを平和の世に受け継ぎ大切に使いたかったのです。

そしてその子どもたちが安心して生活が愉しめる環境を残したい。

合わせて病気になってからの手当法ではなく、死ぬまで元気に過ごせる
生活の知恵をお母さんたちに伝えて行きたいと思いました。

そこで、これからの人生の時間はこの課題に
いのちをかけようと思うようになっていました。

その思いを子どもの父親に話すのですが、なぜだか通じません。
彼は医学系の大学を出ていて「学生運動のデモ」の経験もあり

「今こそ子どもたちのために立ち上がろう!」と誘っても
一向に私の方を向いてくれませんでした。

「戦わないで、世界を平和にする」これがどうしたら可能かが
分るかもしれない大切な時間の旅です、同行者が欲しい私です。

話し始めて二年近く過ぎていましたが溝は深くなるばかりなので、
これ以上彼を苦しめることはやめ、一人でも「冒険の旅」に出る
決意をしました。

「銃後の母になるより、子供の盾に慣れる母」を目指して!!

その決意をした翌朝のことでした。

子どもたちを送りだしてひと段落して、彼を起こしに寝室に入ると
ベッドサイドに座って声を出して泣いている彼がいました。

22年の間で見たことのない彼の姿に「どうしたの?」と

驚く私が訪ねると、走馬灯を見せられたと・・・

なに?それ?

それって死ぬ時見ると言う「あのソウマトウのこと?」
そうかもしれないけど「二人の結婚してから今日まで22年間の・・・」

それも私の気持ちになって見せられたというのです。
「やった~旅の同行者ができた!!」と喜び「それで?」

と聞くと彼曰く

ここまで成長したら、おめでとうと言うしかない

そう言われてしまうと、がっかりしましたが「やっぱり」と
感じている自分がいました。

こんなことが起きてお互いに別居を納得せざるをえなくなりました。

改めて天に「なぜ私ですか?」と質問すると
現在社会で起きている問題の意味を理解し、解き方のヒントも

あなたは見つけたから・・・と返事されましたが、条件が
「非対立・共生」そして「楽しく」です。

自分以外のものに責任を押し付けるのではなく、
自分自身が変わることでまわりが変わる方法


それを見つけるのはた易いことではないと想像がつきます。

決心はしたものの40歳を過ぎた自分の全人生をかけるには
楽しそうですがリスクも多いような気がしました。

そしてもう一度天に「私はこの生活に定住したいですが、どうして
私なのですか?」としつこく聞きました。

すると天の声は あなたは元気だから・・・

これには返す言葉がなく、妙に納得して「この人生ゲーム」に
チャレンジすることにし冒険の旅に出ることにしました。

よくいわれる言葉に「こんなことなら死んだ方がまし・・・」
私も身体があって「説明できない生き方」をする寂しさを

いやと言うほど味わいながら、あふれる涙と言うのはこのことかと
身体中の水分が無くなりそうな程の涙を誰にも見られないよう
流しました。

しかしこの涙には、ふたつの意味がありました。

自分が閉じ込められていた世界からの解放された喜びと、
愛する家族との別れに対するせつなさから来るものでした。

でも私には「この愛する人たちも絶対解放するぞ~~!」という
硬い決意がありました。

という長~い説明でお分りいただけると幸いですが・・・

こんなゲームに20年前応募して、最優秀賞をいただいて
その副賞がなんと「星ひとつ」いただけたのです。

大きすぎて誰にも見せられないのが残念ですが・・・
料理店の☆からすると少ないのですが、ほんものの星です(^^V

こういうことを還暦を過ぎた私が言うのですから、ヘンな女性(ひと)。

でも私には真実なのです。

そこでその話を信じられ、その星の住人になる可能性のある
チルドレンが今日この幸島に集まってきたという訳です。

もともと近くのの神社に参拝予定だった彼らの集まていたところに、
偶然参加することになった私の遊びを共有してくれ、
その場にいた22名のチルドレンが輪になり歌い踊りました。

三児の母Yちゃんのこぼれるような笑顔でのあいさつ、マッキーの歌
「手と手のぬくもりが・・・何よりの真実」と歌いました。

そのあと私は「星をもらった女性(ひと)」の話しを語りました。
そのイメージを共有してもらうため大切に飾っていた「クリスタルの地球」
を中心に据えてみんなが輪になったまま聞いてくれました。

お天気も良くとてもきれいな空気が流れているのを感じられました。
生まれたままの姿で遊ぶ子どもたちの姿は平和そのものでした。

「人生ゲーム」スリル満点! 最高!
これまで私とご縁をいただいた全てのいのちに感謝しています。

そしてここまで楽しく無事私をゴールまで導いてくれ、
そしてこの旅の乗り物となってくれ、これからも私の

この世の時間の許す限りの大切な最強軍団六十兆の仲間である
  
か ら だ 

ひとまずありがとうございました。

これがゲームの終わりでこれからがわたしの仕事の始まりです。
育ててくださったこの国、この地球に恩返ししたいと思います。
[PR]

by sunnyww-yo | 2012-05-23 16:10 | こころとからだ

安全神話

私は原子力発電について、末っ子が中学三年生の時PTAの研修会で
鹿児島の川内原発を見学に行ったことがあります。

その当時の私は「原発」と言う言葉さえ知らなかったように思います。
そしてそれが「放射性物質を反応させてお湯を沸かし、タービンを
回しているなどと言うことは無知な私の知る由もないところでした。

鹿児島まで行くのに参加費がほとんどいらず、あちらこちら
見学させてもらいながら昼食用のお弁当がついてのバスツアー
だったので至れり着くせりだな~と思った記憶があります。

その見学で立派なPR館に展示されている模型の前で、
きれいなスーツ姿の女性の説明を聞きながら・・・

「・・・だから安全に造られています」と繰り返すその声とは裏腹に、
私の中に「この圧力鍋のようなものの中で何をしているのだろう?」

「何重にも保護しなくてはならない鍋の中身とは・・・?」

私の単純な頭はそんなにキケンなこと!

というふうに理解してしまったのです。
[PR]

by sunnyww-yo | 2012-05-23 10:41 | こころとからだ

早急に必要な処方箋

その避難民の特にお母さんが必要としている放射能から身を守る
対策方法を早急に発表し伝える必要があると感じています。


私は40歳を迎える頃から、身の回りに起こっていることを感じる
感じ方(視点)が他の人と少し違うことに気づきました。

世間では病気になれば病院に行きますが、私は寝て直します。
また世間では病気の原因を「病院の先生」に聞きますが、
私は自分で考えます。

そして何より身体に備わっている「自然治癒力」を大切にします。

だから病んでいる気「病気」を元に戻すよう注意をし「元気」になります。
たいていこのやり方で3人の子も育ててきました。

もちろんこの感覚を大切に家業の事務的な手伝いと
家族の食事や洗濯掃除と趣味をこなす主婦であり母親でした。

そのころの私は、自分の立場である専業主婦の座を大切な家族の
いのちを守る「いのちの管理人」であると位置づけていました。

「いのちの管理人」とはちょっとオーバーな・・・?
と言われるかもしれませんが、その呼び方をすることによって
家族の中で自分自身の存在の意味を表していたのかも知れません。

もちろん家族にこの表現を使って話したことはなく、
私だけが知っている「私の座」でした。

なぜそう呼びたかったのかを自分自身に問いただしたところ、
お金を稼でいる仕事を持つ人は存在が見えやすいのですが、

専業主婦の仕事はお金を生みだす仕事ではないので、目立ちません。
家族の中でもその存在は「当たり前のこと」として忘れられがちです。

そんな自分自身を励ます居場所のようなものだった気がします。

同居の義理の母にも可愛がってもらっていましたし、
大きな夫婦喧嘩と言うケンカもしたことがない「普通の家族」
の日常でした。

くる日も来る日も、掃除洗濯、三度の食事の準備・・・
別にその作業を嫌いでなかった私は「幸せ」でした。

嫁いだ宮崎市には誰も知人はおらず、自営業の従業員と親族や
義理母の友人などが生活する上で私が主に関わる人たちでした。

その従業員の中には、従業員に昼食を出していた関係上お手伝いの
Yさんがいてくださいました。

正直で明るい信頼できる方で子どもたちの面倒も良くみてくれ、
よく気がつきこまごまと動いてくださる近所のおばさんでした。

私は、昼食の準備や食事が終わると後は「自由時間」です。
お菓子を作ったりミシンをかけたりして楽しい時間を過ごしました。

同世代の人たちと出会ったのは、一人目の子が幼稚園に上がった時でした。
毎日園の送り迎えで出会うお母さんたちとだんだん親しくなり、
お誕生会など家の外での交流も始まりました。

そのお母さんや下二人の子どもを通じて知り合ったお母さんが
健やかな子どもの成長を願う仲間です。

それは1980年頃の話で、子どもたちが元気に過ごしてくれる日は、
母親にとっても天気の良い日のように気分が軽く心地良いものです。

その時代を懐かしく思い出させてくれる子どもたちはもう三十路になり
社会の一員として生きていますが、今現在子育て最中のお母さんたちは

そんな当たり前の生活が2011年3月11日のあの日から
「原発事故」による放射能によって奪われてしまったのです。

五月晴れの太陽の下で、子どもを遊ばせることや洗濯ものやお布団を
干すこともままならない情況に、お母さんの心労がつのって来て
いるのを感じます。
[PR]

by sunnyww-yo | 2012-05-23 05:31 | こころとからだ

2012年5月23日(旧歴4月3日)

昨日の朝起きた天体ショウ「金冠日食」を雨降りのため
私は「見ません」でしたが、感じる目で「観て」いました。

ところがその雨の中で「金冠日食」を実際の目で見た人たちがいます。
それは20日の夜市木舳(へた)の公民館に集まって来て、

私の話を信じヒーリングを受けてくれた、
「100パーセント自分自身の幸せのためのエネルギーを

取り戻すことができた」インディゴチルドレンあるいは
クリスタルチルドレンと呼ばれる人たちだと思います。

これらのチルドレンについては後でお話するとして、まずは今ここで
「起こっていること」をお話したいと思います。

そのYちゃんに率いられ公民館に集まってきた大人たちは現在の社会の
あり方に早くから居心地の悪さを感じ、「自分の心地よい空間」を見つけ
生きてきた人たちです。

しかし現在社会の都会の中には彼らを喜んで受け入れてくれる環境はなく、
また彼らもそれを好まず、旅から旅を繰り返し人生の大半を過ごしています。

そのため彼らは定住を嫌い世界中を旅することができる「フットワークの軽い」
素敵な人たちで「ヒッピー」と呼ばれています。

そして彼らはバックパック一つで旅ができるので、生きるのに必要でない荷物に
あまりお金をかけない生き方がとても上手なフレンドリーな人たちです。

今回も22年間続き今年で最後になったらしい「虹の岬まつり」の会場で
市木から参加したYちゃんたちの呼びかけで感応し来た人たちが大半です。

もちろん彼らにも家族があり、会場を所せましと走りまわる元気な子どもをもつ
親でもあります。

「そんな生き方」があることすら知らず、現在社会で「普通に生きてきた」
普通のお母さんと子どもたちが何組か混ざっています。

それは2011年3月11日この国で起きた

地震・津波・原発事故による避難民なのです。

目に見えず、匂いも色もない「福島原発震災の放射能のキケン」を感知し
小さな子どもたちを抱えて避難してきた人たちです。
[PR]

by sunnyww-yo | 2012-05-23 04:16 | こころとからだ