花宇宙 ひとつらなりの生命(いのち)


幸島百番目のサルによる自然生活だより。
by sunnyww-yo
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2012年 05月 19日 ( 2 )


生きることの面白さ

最近毎日夜中の2時を過ぎるころに目が覚め、
「自分史」を書くことが日課になっています。

まず昨夜の残り湯五右衛門風呂に火を入れ、水分を補給し
PCのスイッチを入れます。

最初ワードで書き始めましたが、どうしても表現が硬くなり、
ブログの方が気軽にかけることが分かりそうしています。

読んでくださっている方を意識したようなしないような書き方で
読んでくださる方には「自己中心的」な表現で読み辛いかもしれませんが
ごめんなさい。

なにしろ、「本」というものが私の人生に登場してくるのは40歳を
過ぎてからですから・・・どのように書いていって良いのか戸惑いながら
おぼつかない手さばきでキーボードを打っています。

もちろん絵本もコミックも写真集含めてです(自慢じゃない・汗)

じゃあなぜ私が本なのかと言いますと「自分の人生に起きていることの全て」が
何一つ「無駄なことがない!」と還暦を迎え解ったからです。

「えらそ~っ」と先輩諸氏の観客席からブーイングをいただきそうですが。
「分かったから解った」と興奮している自分がいるのです。

百歩譲って、聞いて下さるみなさんにそれをお伝えしようとPCにむかう
私は本州の東南端、宮崎県串間市市木という海あり川あり田んぼありの
自然豊か超高齢化を迎えている集落に住んでいます。

この地はニホンザルで有名な「幸島」があります。
ご存知の方もあると思いますが、この地には芋を洗って食べたサルの
話しがあります。

「100番目のサル」として世界の平和を愛する人たちに広く知られています。

そのことが四十路を過ぎ人生の生きなおしの舞台
私が選んだ大きな要因になっています。

ここで私から参考になる本を紹介するのも変ですが・・・

「百番目のサル」核戦争から人類を救う百番目のサルとは?

ケン・キース・ジュニアー著・Y・モンキー編

生命潮流  来るべきものの予感

100匹目のサル登場    ライアル・ワトソン著

なぜそれは 起こるのか

過去に共鳴する現在 シェルドレイクの仮設をめぐって  
ほおじろ 栄一著など面白い本がありますからどうぞ。

なぜこの土地を住みかに選んだのか当時の記憶をたどります。

私は37歳の頃、元気だけが取り柄の身体が何か変だと感じていました。
家のすぐ前のI医院で検診を受けてみました。

そして心臓の不整脈と血圧が少し高めという診断結果をいただきました。

その時日常生活を検証するのですが、とりたてて原因になるような
ことも思いつきませんでしたが、父も母も血圧は高いと知っていました。

これは遺伝的なものなんだろと思ってはみたものの
「あきらめの悪い」私は遺伝なら両親の生活をたどればいいかな~と
思いつきました。
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by sunnyww-yo | 2012-05-19 07:09 | こころとからだ

気づく

座右の書 

「モモ」を読み始め「面白い!!」と思い一気に読んでしまいました。

何しろモモが戦う相手の「時間どろぼう?」の存在に私がその本の中に
吸いこんでしまわれたような感覚で一気読みになってしまったのです。

みなさんから見ると四十路の女が、たかだか童話の一冊を一気に
読み終えたからってどうってことはない・・・。

そうなんです!が
私にとってこれは重大なことだったのです。

何しろその時自分の読書歴を振り返ってみると、小・中・高校の教科書以外で
記憶に残る本の題名と言えば、なぜかあの有名なトルストイおじさんの書かれた
「戦争と平和」とレなんとかさんの「赤と黒」のみなのです。

確か高校生の時だったと思いますが、夏休み前に先生にでも「読書」を
勧められたのでしょう。

再三申し上げている通り、生まれてこのかた、かわいくいわせてもらえば
「子鹿のような」子ども時代を送っていた私は、学校から帰りカバンを置くなり
友達のYちゃんの家にでかけるのが常でした。(チビまる子ちゃんとダブル・汗)

雨の日も風の日も仲良く元気に遊ぶ私たちでしたが、毎月決まって
いつのころからか「りぼんやなかよし」というコミックの発売日になると、

遊びに誘っても「無心に読書にはげむ友」はそれを読み終えるまで
いくら声かけて待っても相手をしてくれないようになりました。

友達が遊び相手をしてくれるようになるまで、
子鹿の私は一人で集落の上流にある大好きな場所、御不動さんが祭ってある
「独っこの滝」を目指して走って行く習慣(週間)になっていました。

今から思うと子どもの私が一人で遊びに行く場所とは思えないぐらい
滝のある場所はうっそうとしていて大の大人でも寂しい場所です。

しかし私がそこをなぜ遊び場の一つにしていたかが分かったのは、
44歳にして母の期待を大きく裏切り「離婚」などと言う親不孝を
決行したおかげでした(笑)

嫁いでいた頃と違って時間がたっぷりある私は、今の私が「存在する要素」
になる子どもの頃のことなどを母から直接聞ける良い機会になりました。

その母によると、戦後生活が貧しかった両親は「この滝」を通って、
まだその上にある山の上で炭焼きをしていたようでした。

そこへ行くのに母は兄の手をひき私を背におぶって通ったそうで、
炭焼き小屋の周りで遊んだ私たちの(黒くなった(*^_^*)を

集落の人に見られるのが嫌で、滝つぼの水できれいに洗ってくれ
着替えもさせて連れて帰ったそうです。

車のないあの時代に、家から歩いて滝まで行き、そこから見上げたら
登るのを躊躇するような急な階段を上がってそのまだ上にある山まで。

身長が150㎝もない母が毎日私をおぶって登ってくれたと思うと
信じられない「母の愛と強さ」を改めて感じます(拝礼)。

親不孝な私に当時の記憶はないのですが、
そんな母の愛情のおかげで、滝が心地の良い場所として
能にインップトされていたようです。

ということで「野山をかけ回る子鹿」の誕生秘話を紹介させてもらいましたが、
その私がなんで「戦争と平和」と「赤と黒」だったのかを考えてみた時、

小学校5・6年の受け持ちだったT先生が「世界で起きている問題を解決するのに
戦争では何も解決できない!」と言われたことが子ども心に残っていたのと、
多分タイミング良く兄が読んでいたその本が私の目にとまったのだと思います。

今思いだしてもそこに何が書いてあったか全然覚えていませんが・・・(汗)
とりあえず当時から「モモ」に出会うまでの「座右の書」がこの二冊です。
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by sunnyww-yo | 2012-05-19 05:47 | こころとからだ