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戦後、私たちは経済発展と共に、一見安全安心を手に入れ
高等教育を受けてきたかのような錯覚?をしています。 私たちや未来の子どもたちが、安心安全に暮らせる社会が 出来あがっているでしょうか? いえそうではなく、この国に住む多くの人が自分自身の命を 絶ってしまう現実から何を学べばいいのでしょうか? そのために、戦後の教育とは一体何を目的に推進されてきたかを 考えてみるのに分かりやすく参考になる文章を見つけました。 「母の時代 深い智慧に生きるために」 和田重正著 1982年12月10日 初版発行 精神活動がボヤケてきたP54から 科学文明の弊害の面を簡単に取り上げてみますと、科学文明の 追って来たのは前にも述べたように便利、安全、快適、高能率 といったことですが、それらのことは要するに、物質的欲望の 充足ということでしょう。 その目的を達成するには自然、大量生産が目論まれ、一面それを 円滑に回転させるためには金銭経済が確立される必要がありました。 これらのことは百年あるいは二百年かかって人間社会に浸透して きた現象だから、人々は案外目先の華々しさに眩惑されてその弊害に 気づかないできましたが、実は科学文明即ち物質文明の急激な発展に 伴って人々は、人間が何千年、何万年もかかって進化の途上で獲得 してきた勝れたものを、見る見るうちに失って来ているのです。 まず、努力、忍耐、工夫力、創造力(連想力、想像力)勘の はたらき、手足の器用さ、仲間意識(連帯感)、これらの能力が ここ20年来、若者たちの中から音を立てて崩壊してきました。 最近数年間はその崩壊速度が加速度的に著しくなって来ています。 それは筆者だけの感想ではなく、およそ日頃青少年と接触し、その 様子を観察している人なら誰でも気がついているはずです。 ただ不思議なことは、小中高の学校の先生方の中に、この事実に 気がついていない人が意外に多いということです。 これはいったいどういうことでしょう。 われわれが何かの用事で学校に行ってそういう先生たちの実態に 接する度に、この社会自体の急激な崩壊を目の前に見る思いのす るのは、明治生まれの老人の取り越し苦労のせいなのだろうか、 と嘆かされます。 それはさておき、先にあげた努力、がまん以下のいろいろなことは すべて、いわゆる精神的な要素をより多く含んだ力です。 ところが、人間が他の生物と異なる特徴は、その知情を含む精神活動 にあることは前に述べた通りです。 そうだとすると、精神活動がボケてきたということは、人間らしさが 失われてきたということになります。 もし優秀活発な精神活動が無くなってしまうのならば、ホモ・サピエンス から類人猿に逆もどりするだけですから別段問題はありませんが、そうで はなくて、精神がボヤケて来たのではどうにもなりません。 こんなに積極性に欠けて、しかも本能的欲望ばかりに引きずり廻される 人間が、世の中の大半を占めるようになったら、どうなるのでしょう。 惨憺たる結末になることは目にみえています。 中略 若者たちの、徹底的自己中心的(ほねおりをさける)生活姿勢と グータラさ、無気力さをみた大人たちは、彼らを劇しく責めますが、 それは無理な話です。彼らは好んでそうなったのではありません。 不知不識のうちにそうされてしまったのです。 だはその真犯人は何者でしょうか。 それは教育である、政治である、産業である・・・と人々は簡単に 、そしてひとごとのように答えます。 私も機会あるごとに、至る処でそのように叫びます。 しかし、このような人間社会の壊滅的な状態を、もっと希望に満ちた ものに立て直すことを本気で願うならば、そのあたりのところでひっ かかっていてはケリがつかないことに気がつくでしょう。 それはまったく中途半端な問題の捉え方であって、本当の解決は そのあたりのところにないことがわかるはずです。 なるほど青少年が急激にこうなって来たのは、彼らに働きかけている 教育環境が極端に劣悪だというところに原因があることは、誰でも 認める通りです。殊に、学校教育の根本的動向・・何を目指して現実に 教育が行なわれているか・・・という点に、極めて非人間的なものが 混じっていることが明瞭に指摘されるでしょう。 知育と称して行われていることは、相手の個性や能力や好みに構わず、 一律に知識を詰め込もうとし、その成果を単純な点数で評価するばか りか、その評価を絶対視し、その上にさらにむやみに競争心を煽りた てて青少年を慢性的不安焦燥状態に落ち込ませています。 これがいったい人間の教育でしょうか。
by sunnyww-yo
| 2012-06-20 16:25
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