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自然分娩のお産がなぜ大切かというお話をしましょう。
私は残念なことに3人の子を病院出産し自然分娩を味わえませんでした。 初産の時、本来なら軽く済むお産があわや墜落分娩するところでした。 夜中破水があったので、シャワーを浴び、入院の準備をして夜が 明けるのを満月を見ながら待って、朝の7時過ぎ義母に付き添って もらってかかりつけの産婦人科へ入院。 妊婦の私が「もう生まれそう」といっても若い看護師さんに「初産は 子宮口が開くのに時間がかかりますから・・・」と取り合ってもらえず、 陣痛はさほど激しくはなかったのですが、生まれる兆しを感じ、付き添 いの母に頼んで、再度看護師さんに連絡。 仕方なさそうに「受診台に上がって下さい」と言われ、数秒間隔でくる 陣痛に耐えながらやっと受診台に上がり見ていただくと「あっ!早く 二階の分娩室に・・・」といわれ母の手を借りながら、2~3段上が っては痛みをこらえやっと分娩室の前に着いた時には・・・ その後、何が何だかわからないうちにお産は終わり、男児を授かった。 その予後も芳しくなく、一週間ほどで退院してから私が微熱が続き 検査の結果、胎板がきれいに出ていなくて子宮そうは。 それから二年後、実家に近い日赤病院でお産をすることとなり、 その日も「もうそろそろかな」と思い早めの入院をした。 産まれそうな朝、近くの神社まで散歩し結構な階段を往復したら それが引き金で、病院に戻って少ししたら陣痛が始まり受診した。 「陣痛促進剤」を打たれ病室で待機するよういわれ病室まで戻る 前に廊下で大量の破水が始まり、またまた墜落分娩寸前で、お産を味わう なんて雰囲気でなく、私の血圧が平常の倍近くまで上がり、 10月の分娩室の寒さと頭痛や気分の悪さで「ひょっとしてこのまま」 と頭を大きな不安がよぎりました。 その時心配して私の手を握っていてくれた母に「お母さん、悪いけど 外に出ていて」と頼んだ。 そうしないと母に甘えてこのまま「あちらの世界に行ってしまいそう だった」のです。 その不安を一人で耐えることで、私が母として強くなった瞬間かも 知れません。この時は女児でした。 そして3番目は3年後の10月、昼間の晴天とは変わって、 台風が宮崎を襲来する夜にきてくれました。 前回の体験があったので、陣痛促進剤を使わないようお願いしして いました。 その朝、今日は生まれそうだと思い、市内のデパートまで散歩がてらに お買い物に行き、昼食を食べ入院しました。 夕方から陣痛が始まり、感覚が短くなって子宮口は開いて、 胎児の頭が見えているのに陣痛が起りません。 いきむように促されますが、痛みが弱いのでできませんでした。 しばらく頑張れコールに励まされていると、産まれましたが かんしが使われて引き出されたようです。 私の場合はお産の知識がなかったのと、吉村先生のようなお医者さんに めぐり逢わなかったことが不運でしたが、この経験が私の生きるために 必要な怒りの原点になりました。 私は感度がいいので、どの子も受胎した日が分かったし、性別や生まれる 日も分りました。(超音波は受けていません) 三度もこのようなな貧しいお産しか経験出来なかった私は、 40歳を過ぎて社会で起こる問題を考えるようになって色いろな 本を読む中で、「お産のあり方」に大きな疑問を持ちました。 「胎内記憶をもつ子」やお産にまつわる国内外の本を読む中で、 「胎教の大切さ」やお母さんの「お産に臨む覚悟」のような 大切なことをどうして私は知らないんだろう・・・? 「そうか!!教えられていないんだ!!」 「習っていないんだから知るわけがない!!」 しかし、私は小・中・高校と真面目にいき卒業しているではないか。 それなのになぜ?こんなに大切なことを教えないんだろう。 どんな職業に就くなどという以前に、男女とも父・母になる可能性 の方が高いのだから、「性教育」に始まって子どもを「健やかに育てる」 ための「人間についての教育」は受けていない!!。 これは、国が国民を財産と思い大切にするなら、なくてはならない視点。 そしてその視点での教育がなされているはずなのに・・・。 「仕組まれている!!」「経済優先のために!!」 ゆ る せ ん !!堪忍袋の緒が切れた私がいました。 このままの社会では、自立も愚、自由すらもない!と気づきました。 平和憲法をもち自由をうたっているこの国の行方が急に不安になっ てきました。 しかし解決法は「非対立・共生」です。 このお産の話しは何と言っても30数年前のことなので、 経験を通して話していくということは、結構長い話に なりそうです・・・よろしくお付き合いを!
by sunnyww-yo
| 2012-05-27 04:51
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