花宇宙 ひとつらなりの生命(いのち)


幸島百番目のサルによる自然生活だより。
by sunnyww-yo
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早急に必要な処方箋

その避難民の特にお母さんが必要としている放射能から身を守る
対策方法を早急に発表し伝える必要があると感じています。


私は40歳を迎える頃から、身の回りに起こっていることを感じる
感じ方(視点)が他の人と少し違うことに気づきました。

世間では病気になれば病院に行きますが、私は寝て直します。
また世間では病気の原因を「病院の先生」に聞きますが、
私は自分で考えます。

そして何より身体に備わっている「自然治癒力」を大切にします。

だから病んでいる気「病気」を元に戻すよう注意をし「元気」になります。
たいていこのやり方で3人の子も育ててきました。

もちろんこの感覚を大切に家業の事務的な手伝いと
家族の食事や洗濯掃除と趣味をこなす主婦であり母親でした。

そのころの私は、自分の立場である専業主婦の座を大切な家族の
いのちを守る「いのちの管理人」であると位置づけていました。

「いのちの管理人」とはちょっとオーバーな・・・?
と言われるかもしれませんが、その呼び方をすることによって
家族の中で自分自身の存在の意味を表していたのかも知れません。

もちろん家族にこの表現を使って話したことはなく、
私だけが知っている「私の座」でした。

なぜそう呼びたかったのかを自分自身に問いただしたところ、
お金を稼でいる仕事を持つ人は存在が見えやすいのですが、

専業主婦の仕事はお金を生みだす仕事ではないので、目立ちません。
家族の中でもその存在は「当たり前のこと」として忘れられがちです。

そんな自分自身を励ます居場所のようなものだった気がします。

同居の義理の母にも可愛がってもらっていましたし、
大きな夫婦喧嘩と言うケンカもしたことがない「普通の家族」
の日常でした。

くる日も来る日も、掃除洗濯、三度の食事の準備・・・
別にその作業を嫌いでなかった私は「幸せ」でした。

嫁いだ宮崎市には誰も知人はおらず、自営業の従業員と親族や
義理母の友人などが生活する上で私が主に関わる人たちでした。

その従業員の中には、従業員に昼食を出していた関係上お手伝いの
Yさんがいてくださいました。

正直で明るい信頼できる方で子どもたちの面倒も良くみてくれ、
よく気がつきこまごまと動いてくださる近所のおばさんでした。

私は、昼食の準備や食事が終わると後は「自由時間」です。
お菓子を作ったりミシンをかけたりして楽しい時間を過ごしました。

同世代の人たちと出会ったのは、一人目の子が幼稚園に上がった時でした。
毎日園の送り迎えで出会うお母さんたちとだんだん親しくなり、
お誕生会など家の外での交流も始まりました。

そのお母さんや下二人の子どもを通じて知り合ったお母さんが
健やかな子どもの成長を願う仲間です。

それは1980年頃の話で、子どもたちが元気に過ごしてくれる日は、
母親にとっても天気の良い日のように気分が軽く心地良いものです。

その時代を懐かしく思い出させてくれる子どもたちはもう三十路になり
社会の一員として生きていますが、今現在子育て最中のお母さんたちは

そんな当たり前の生活が2011年3月11日のあの日から
「原発事故」による放射能によって奪われてしまったのです。

五月晴れの太陽の下で、子どもを遊ばせることや洗濯ものやお布団を
干すこともままならない情況に、お母さんの心労がつのって来て
いるのを感じます。
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by sunnyww-yo | 2012-05-23 05:31 | こころとからだ
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