花宇宙 ひとつらなりの生命(いのち)


幸島百番目のサルによる自然生活だより。
by sunnyww-yo
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気づく

座右の書 

「モモ」を読み始め「面白い!!」と思い一気に読んでしまいました。

何しろモモが戦う相手の「時間どろぼう?」の存在に私がその本の中に
吸いこんでしまわれたような感覚で一気読みになってしまったのです。

みなさんから見ると四十路の女が、たかだか童話の一冊を一気に
読み終えたからってどうってことはない・・・。

そうなんです!が
私にとってこれは重大なことだったのです。

何しろその時自分の読書歴を振り返ってみると、小・中・高校の教科書以外で
記憶に残る本の題名と言えば、なぜかあの有名なトルストイおじさんの書かれた
「戦争と平和」とレなんとかさんの「赤と黒」のみなのです。

確か高校生の時だったと思いますが、夏休み前に先生にでも「読書」を
勧められたのでしょう。

再三申し上げている通り、生まれてこのかた、かわいくいわせてもらえば
「子鹿のような」子ども時代を送っていた私は、学校から帰りカバンを置くなり
友達のYちゃんの家にでかけるのが常でした。(チビまる子ちゃんとダブル・汗)

雨の日も風の日も仲良く元気に遊ぶ私たちでしたが、毎月決まって
いつのころからか「りぼんやなかよし」というコミックの発売日になると、

遊びに誘っても「無心に読書にはげむ友」はそれを読み終えるまで
いくら声かけて待っても相手をしてくれないようになりました。

友達が遊び相手をしてくれるようになるまで、
子鹿の私は一人で集落の上流にある大好きな場所、御不動さんが祭ってある
「独っこの滝」を目指して走って行く習慣(週間)になっていました。

今から思うと子どもの私が一人で遊びに行く場所とは思えないぐらい
滝のある場所はうっそうとしていて大の大人でも寂しい場所です。

しかし私がそこをなぜ遊び場の一つにしていたかが分かったのは、
44歳にして母の期待を大きく裏切り「離婚」などと言う親不孝を
決行したおかげでした(笑)

嫁いでいた頃と違って時間がたっぷりある私は、今の私が「存在する要素」
になる子どもの頃のことなどを母から直接聞ける良い機会になりました。

その母によると、戦後生活が貧しかった両親は「この滝」を通って、
まだその上にある山の上で炭焼きをしていたようでした。

そこへ行くのに母は兄の手をひき私を背におぶって通ったそうで、
炭焼き小屋の周りで遊んだ私たちの(黒くなった(*^_^*)を

集落の人に見られるのが嫌で、滝つぼの水できれいに洗ってくれ
着替えもさせて連れて帰ったそうです。

車のないあの時代に、家から歩いて滝まで行き、そこから見上げたら
登るのを躊躇するような急な階段を上がってそのまだ上にある山まで。

身長が150㎝もない母が毎日私をおぶって登ってくれたと思うと
信じられない「母の愛と強さ」を改めて感じます(拝礼)。

親不孝な私に当時の記憶はないのですが、
そんな母の愛情のおかげで、滝が心地の良い場所として
能にインップトされていたようです。

ということで「野山をかけ回る子鹿」の誕生秘話を紹介させてもらいましたが、
その私がなんで「戦争と平和」と「赤と黒」だったのかを考えてみた時、

小学校5・6年の受け持ちだったT先生が「世界で起きている問題を解決するのに
戦争では何も解決できない!」と言われたことが子ども心に残っていたのと、
多分タイミング良く兄が読んでいたその本が私の目にとまったのだと思います。

今思いだしてもそこに何が書いてあったか全然覚えていませんが・・・(汗)
とりあえず当時から「モモ」に出会うまでの「座右の書」がこの二冊です。
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by sunnyww-yo | 2012-05-19 05:47 | こころとからだ
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