花宇宙 ひとつらなりの生命(いのち)


幸島百番目のサルによる自然生活だより。
by sunnyww-yo
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本当の話

私に起こっている本当の話(モモを生きる)。

人に説明するのが、本当にむずかしい体験。
それを文章にて表現など・・・大変たいへん!!

だけど説明しなければ解らないし、解ってもらえない。

私はこの5月の連休最終日に、一年遅れの還暦を祝う
高校の同窓会に参加しました。

もう何十年も会っていない同級生の中にたち、
「自分が何を感じ思うか」が参加の動機でした。

全学年に呼びかけられての同窓会なので、会場に着くと
受付周辺から160人以上の参加者の熱気でむんむんとしていました。

私の通っていた高校は、兵庫県丹波市にあるK高校と言って、
当時は普通科6クラス商業科・家政科は各2クラスからなっていたました。

私はあまり勉強が好きな方ではなかったから、とりあえず幼馴染と
同じ家政科に入学し無難に卒業までの時間を過ごしたと思っています。

とりわけ家政科の参加者は女子ばかりなので
用意されたテーブルはひときわ華やかでにぎやかでした。

生徒だった私たちが還暦を過ぎているのですから、
存命の恩師でこの場に列席できる人も少なく5~6人でした。

式が始まってあいさつなどが続く中で、卒業式当日、
式の最中に無意識なのに解放されるる嬉しさに、
身体が笑い出すのを必死でこらえたことが思い出されました。

そういえばこの体験は中学卒業の時も同じで、笑いをこらえるのに苦労
したことを思い出しました(今は亡き担任に知れればなんと不謹慎な!!)

このことを小さな声で、隣にいる人に話したのですが同感を得られませんでした
ので人それぞれだから・・・と恩師の話に再度耳をかたむけました。

列席下さった恩師はあまり見覚えのない方々ばかりで
普通科の先生らしい人が「この学年は特に思いで深い・・・」
と話される内容から、午黄の寅年生まれの私たちは、
扱いにくかったらしいと感じました(笑)。

最初(*^_^*)を合わせてすぐに名前の出てくる人もいれば、
胸の名札の旧姓を見てもしばらく誰か解らない人もいました。

しばらく時間が経つうちに大半の人が高校生の顔になって
懐かしい話しに花が咲き、会場は夏の蝉しぐれを想わせる状況になりました。


こんな調子で・・・書き進めて行けばいいのだと今実感!!
よ~~し、書き進めることにしよう。


さて話を同窓会場に戻して・・・
乾杯が終わり、会食が始まり

あまり見覚えのないYさんが近寄ってこられ、
「あなたには早弁でよくお弁当を食べられたわ・・・」

えっ、なんと身に覚えのないいいがかかりのように思えるお言葉。
そう言いながらもYさんの笑顔に、そんなこともあったかも(汗)

中でもとりわけ元気の良かったA子さんは、尊敬するおばさんの影響で
助産師になっていた。

もちろん現役で「桶谷式母乳育児相談室」と書かれた名刺ををみんなに
配っていた。

さすがだな~と感心していると、彼女が近寄って来て「Kちゃんのおかげで
苦手な英語の試験に赤点をとらずに済んだわ」と感謝された。

どうも試験の直前に、試験対策に私がまとめたノートが役に立ったらしい。
こんな調子で色いろな同級生と話していて、記憶にない自分が思い出され
どんどん高校生化していく自分を感じました。

私からは、卒業年度に体育祭の仮装行列に
ネィティブ・アメリカンの格好をして参加した仲間に
当時の動機などを聞いたり、入学して間もなくの臨海学校で
5キロの遠泳に参加した5人の仲間を確認したりしました。

思春期だった当時、格好良かったあこがれの体育担任の話に
目輝かせる子や泳ぎ終わってもらったキャラメルの味が
美味しかったねぇ~・・・などなど楽しく当時を共有しました。

遠泳も一緒だった色白でかわいいNちゃんは、セレブな家庭に嫁ぎ、
難なく嫁役もこなしながら現役のお嬢さん学校の教師を続けていました。

その彼女と「教育について・・・」と面白い話が進みつつあるところに
クラス別に分かれていたテーブルから移動する人も出てきて、
小学校から一緒だった人たちの輪に引っ張っていかれました。

小学生の時から学業で目立つことはなかった私は、
22歳で故郷から遠い宮崎に嫁ぎ参加していたので近況を知る人もなく、
同じ学校を出て地元で歯医者をしている兄の妹として紹介を受け、
違和感を感じながらも輪に加わりました。

その紹介のされ方で、高2の時の苦い記憶が思い出されました。
あの時も新学期が始まって最初の数学の授業のときでした。

「あぁ、Uの妹か・・・」と言われた一言で、その先生の授業を聞くのが
嫌になり、授業中は先生に見えないように机の引き出しから週刊誌を出し
読んでました。

そんな態度で試験に良い点がとれるはずがなく、好きだった数学で
とうとう赤点(落第点)をいただいてしまい追試を受ける羽目になりました。

しかしこの情況下で焦っている私の心情もしらず、担任も「U君の妹だから・・・
もう少し頑張って」と叱られることもなく励ましのお言葉をいただいきました。

この時私の胸の内は、「兄と私は違う!」という思いでしたが
口にすることはできず、どうして大人は・・・と納得のいかない
自分がいました。

しばらくしてこの輪から離れ、何気なく普通科の人たちのテーブルから
聞こえてくる会話が耳にとまりました。

「こう見えても、彼はS高校の校長を昨年退職したのよ」と
誰かにその校長経験者を紹介しているようでした。

聞こえてきたのは、普通科の進学クラスだった人たちの会話でした。

「校長を退職」なんとなく禿げた頭が後ろにそっくりかえったように見えましたが、
それが誰だか気にもなりませんでした。

それよりも、定年退職と言う制度があり、やっと人生の面白みがわかり、
その面白さを伝える時間やゆとりができた今、退職はもったいない気がしました。

それに比べたら、肩書も何もない人生を送ってきた私は訳もなく「今から・・・」
という思いがふつふつと湧いてくるのを感じていました。

このように身体の底から湧いてくるエネルギーを感じることはたびたびあり、
子どもたちと暮らしていたときは、そのエネルギーで踊るように動く私を
「モー変なお母さん!」といって笑われていました。

そうこうしているうちに閉会の時間となり、用意された二次会へと科ごとに
分かれて流れていきましたが、このようなエネルギーの話はもちろんですが、
誰とも今自分が感じている事をあまり深く話すことができませんでした。

「仕方がないな~」何といっても卒業後40年以上過ぎているのですから、
私も離婚経験者になってしまいましたが、連れ合いや子どもを亡くした方もおられ
笑顔を失いたくない思いがみんなにあり、あまり深く語ることは出来ませんでしたが、

それでも両親の介護の経験や嫁姑バトルを話してくれた同級生と
再会を約束して夜空に星が出るころ三次会を終え実家に戻りました。

ゆっくりとお風呂に入り湯船につかりながら、自分が40過ぎて受け継いできた
人生のタスキを次の世代の人たちに渡す時が来たのを感じていました。
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by sunnyww-yo | 2012-05-17 03:26 | こころとからだ
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